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岡崎文次 日本初のコンピュータを作った男

日本で最初のコンピュータを作った人物とは?

ミツオカミツオカ
にゃんこ師匠ー!さっき家電量販店に行ってきて1つ疑問がわいてきましたー!
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
おーミツオカ、疑問とはなんじゃ?
ミツオカミツオカ
日本製のPCっていくつもあるんですが、コンピュータって…日本ではいつ誕生したんですか?
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
ほー!そんなところまで好奇心がわいてきたか!それじゃあ今回は日本で初めてのコンピュータと、それを作った人物を紹介しよう!

世界初の汎用コンピュータ【ENIAC】の完成

出典:wikipedia

第二次世界大戦終戦後間もないころの 1946 年(昭和 21 年)2月 18 日、「ニューズウィーク」に、ある記事が掲載されました。

モークリートエッカート、世界初の汎用コンピュータ「ENIAC」を完成させる

厳密に世界初を決めるのはなかなか難しいのですが、彼らの「ENIAC」が、最初期のコンピュータの 1 台であるのは間違いありません。

巨大な機械「ENIAC」

「ENIAC」は、ともかく巨大な機械でした。

総重量 30 トン、140 平方メートルの部屋を独り占めするほどです。

人類が、これほど複雑な機械を作ったのは初めてだ、と言われるほど、多くの部品からできていました。

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日本のコンピュータ開発計画

この記事に触発されたのか、日本でもコンピュータ開発の機運が高まります。

大学系の動き

大学系では、大阪大学の城研究室が手を挙げました。

また、東京大学と東芝の TAC プロジェクトは、当時としては巨額の、1011 万円と言う予算を獲得した国家事業でした。

その開発顧問には、当時有数の学者たちが顔を並べています。

大学以外の動き

大学以外では、逓信省電気通信研究所(後の NTT 研究所)のパラメトロンコンピュータ、商工省工業技術庁電気試験所のリレー式などの計画も続きます。

ミツオカミツオカ
海外で誕生した「ENIAC」に触発されて、日本でもコンピュータの開発が始まったのですね!
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
そうじゃ、それも国家事業として動き始めたのじゃ

日本初のコンピュータ開発者

そんな状況の中、日本初のコンピュータ開発者の栄誉を手にしたのは、一般企業で働く一人の技術者でした。

それは、富士写真フイルム(現富士フイルム)に勤める、「岡崎文次」という人物でした。

日本にも居た機械式計算機ウンザリ組

初期の頃、海外でコンピュータ開発に携わった人たちは、「機械式計算機の能率の悪さにウンザリ」していたことが、取り組みを始めた動機だったようです。

岡崎氏もその例に漏れず、当初はコンピュータは電気仕掛けのソロバンぐらいに考えていました。

これって、明治の発明家である矢頭良一さんの「自動算盤」と通じるところがありますね。

コンピュータ開発に取り組んだきっかけ

1949 年当時、岡崎氏は、カメラレンズの設計を担当していました。

当時のカメラレンズの設計には、複雑な三角関数の計算など、数十人がかりで数表と取り組まねばならない作業が、大量に要求されたそうです。

海外の開発者たちは、こんな時に、電子式の計算機を自力で開発することを思いつくのでしょう。

しかし、すでに岡崎氏には、海外で作られていたコンピュータの知識がありました。

あれは使える

岡崎氏は、カメラレンズの設計で必要になる複雑な計算に、海外で作られていたコンピュータを使うことが有効だと考えました。

「あれは使える!」と思ったようです。

しかし、海外でも当時はコンピュータは、大学などが計算用に自前で作った程度で、商品として売り出されているものはありません。

ましてや日本には、輸入品さえ 1 台も無い状況です。

欲しけりゃ作れ

そのような状況で、岡崎氏は「自分でコンピュータを作る」ことを決意します。

岡崎氏は、決して日本初を目指したのではありませんでした。

「欲しければ作るしかない」といった状況でした。

必要に駆られて、日本初のコンピュータは誕生したのです。

ミツオカミツオカ
開発するきっかけは「カメラのレンズ」だったのですね!
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
しかも、ないなら自分で作るという発想はすごいのー

そうとう遅れていた日本のコンピュータ開発

戦争の影響もあったのでしょうか。

終戦直後の日本の「電子技術の研究開発環境」は、欧米に比べかなり貧弱なものでした。

アナログ回路の電子技術は、やがて日本が追いつき追い越し始めます。

それに比べ、デジタル回路の研究での、日本の技術の遅れは顕著でした。

岡崎氏を取り巻く環境

そんな中、岡崎氏の開発を手伝っていたのは、機械式計算機を扱っていた女性ただ一人でした。

社内から注目されることもありませんでしたが、これが逆に良かったようです。

成果を出さねば、と焦る事もなく、「オレが決めてオレがやれば良い」状態。

また、参考文献が少なかったことも、結果的には良い方向に働きます。

海外の論文や雑誌記事を参考にされたようですが、絶対量が少なく、あれこれと読み比べる余分な時間がかからなかったためです。

ミツオカミツオカ
なるほど!参考になるものが少ないから迷う事がなくなったわけですね
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
そうじゃな!環境やタイミングなどいろいろなことに恵まれていたんじゃな

FUJICの仕様

岡崎氏が独自開発したマシンは、「FUJIC」と名付けられました。

仕様・特徴

「FUJIC」の主な仕様・特徴は次のとおりです。

  1. 加減乗除・移動・飛び越し・入力・出力・停止など17種類
  2. 乗算命令の種類を増やし、ステップ数が減るように工夫
  3. 3アドレス方式の機械語で、16進数でコーディング
  4. ブラウン管での文字表示
  5. カード入力の際のコマンドは3種類
  6. タイプライターのキーを、下から針金で引っ張って文字を印刷(からくり人形的な手法)

参考にしたマシンは?

岡崎氏は、「FUJIC」の製作時に参考にしたマシンは、特に無いと語っています。

当然、「ENIAC」と同じ時代のコンピュータですから、「ENIAC」同じような構造の部分はあります。

しかし、岡崎氏が独自に工夫した点も、多く見受けられます。

ミツオカミツオカ
参考にしたマシンはないというのはすごいですね!
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
次は、FUJICの構造を紐解きながら、当時の技術や岡崎氏の工夫(苦労)を見ていくぞ!

FUJICの構造

「ENIAC」は、1万7468本と言う膨大な数の真空管を使い、消費電力は200kwと相当なものでした。

それだけでなく、当時の真空管の寿命は短く、頻繁に切れました。

そのたびにマシンを止め交換、保守点検、と無駄な時間がかかりました。

予算も時間も限られていた岡崎氏は、真空管はなるべく少なくしようと考えたようです。

その結果、「FUJIC」は1700 本程度の真空管で完成しました。

それでも、1 日に 2 ~ 3 本は真空管が切れて交換したようです。 

ストアドプログラムとして動作

「ENIAC」は、パッチボードでプログラムされました。

一方、「FUJIC」はストアドプログラムで動きました。

ストアドプログラム方式は、「主記憶に置かれたプログラムを実行する」という、コンピュータ・アーキテクチャの方式の一つ。

入力はカードリーダー、出力は電動タイプライターです。

操作はカードを読み取らせ、ボタンを押したりするだけなので、誰でも扱えます。

この基本的メカニズムは、70 年代の汎用機とほとんど変わりがないほど、先進的な動作方式でした。

安定した性能のフリップフロップ

フリップフロップとは、コンピュータの論理回路をつくる上で最も基本となる回路です。

現在では買って来れば良いのですが、一から作るとなると話が違います。

岡崎氏はフリップフロップについて、次のように語っています。

まず、ソロバンの珠に当たるフリップフロップを造る。

後は、その珠を弾く論理回路を作ってやれば OK

しかし、当時の技術では、言うほど簡単な作業ではありません。

安定した性能で動作するフリップフロップの開発には、少し手こずったようです。

動作が見える論理回路

次は、論理回路です。

岡崎氏は、まず真空管を組み合わせて、2 進 4 桁の加減乗除を計算できる機械を試作しました。

試作機には、被演算用に 2 個と結果用に 1 個の、計 3 個のレジスタを用意しました。

それぞれのレジスタは、4 個のフリップフロップから成っており、制御用にも数個のフリップフロップを使われています。

全てのフリップフロップの表示ランプを一ヶ所に集め、全体の動作が一目でわかるようにしたのは、岡崎氏の工夫でした。

これは、会社のお偉方や、見学者へのアピールに、とても役立ちました。

水銀使用のディレーライン

さて、メモリはどうするか?

真空管は信頼度が低く使用が躊躇われるため、水銀を使った超音波ディレーラインが採用されました。

音は水銀の中を、高速で進みます。

100 万分の 1 秒の間に、何度か音を発したり止めたりすると、音の有無で、水銀の中にパターンが描けると言うのです。

その音の有無を、2 進数の「0」と「1」に対応させる音波が、水銀タンクの端に到着すると、同じ音波を送り出します。

同じパターンが再度描かれるので、繰り返しによりパターンは、描き続けられます。

つまり、「データの保持」です。

容量は 1 語 33 bit 扱いで、255語でした。

ミツオカミツオカ
なるほど!つまり、とてもすごいという事ですね!
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
うわあああ!こんなとてつもない工夫をザックリまとめたぁ!

FUJICが完成するも注目度は低い

国立科学博物館に展示されたFUJIC

出典:wikipedia

FUJICの完成

1952 年(昭和 27 年)12 月、「FUJIC」は組み立て作業に入ります。

半期予算として 200 万円を獲得し、修理部門の数名が手を貸してくれました。

そして 1956 年 3 月、研究着手から 7 年がかりで、「FUJIC」は遂に完成しました。

社内の反応

完成したものの、社内での注目度はイマイチでした。

「FUJIC」の完成により、カメラレンズの設計速度は、1千から 2千倍ぐらい向上しました。

労働組合は、計算担当者の仕事が減ることによる「担当者の首切り」を心配するほどでした。

効率化の目標を達成したにも関わらず、注目されなかったのは、計算を必要とする部署が、余り多くなかったためのようです。

社外の反応

社外からも、使わせてほしい、との問い合わせが数件あった程度だったようです。

やはり、用途が限られていたためでしょうね。

ミツオカミツオカ
設計速度が1000~2000倍になったって、すごすぎませんか!?
にゃんこ師匠にゃんこ師匠
それでも、注目されなかったというのが驚きじゃな!

FUJICのその後

7 年がかりで完成した「FUJIC」ですが、富士写真フィルムで働いたのは、わずか2年半でした。

マシンが消耗したわけでもなく、高性能の新しいマシンが導入されたのでもありません。

会社の方針が変わり、レンズの設計をやらなくなったためです。

日本初のコンピュータ「FUJIC」の働き場所は、無くなりました。

脚光は浴びないが

その後は、早稲田大学に寄贈され、現在は上野の国立科学博物館に保存されています。

「FUJIC」は、国家プロジェクトでもなく、一人の企業エンジニアがひっそりと作ったマシンでした。

現在、コンピュータの歴史を語るときでも、「FUJIC」が脚光を浴びることはあまりありません。

しかし、日本で最初の実用に耐え得るコンピュータでした。

「独自の設計」で作り上げられた、日本最初のコンピュータを、一度は見てみたいものですね!

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