
世界初のマイクロプロセッサ開発した嶋正利
2021.12.20
目次
パソコンの頭脳といえば?





マイクロプロセッサとは?
現在は、ほとんどの家庭にあるコンピュータ。
コンピュータは、開発された当初は戦争での弾道計算などに使用されており、非常に大きく、持ち運びはほぼ不可能なものでした。
コンピュータはその後、技術革新によって小型化・軽量化され、現在のパソコンにへと進展していきました。
その小型化・軽量化には、パソコンの頭脳とも言えるCPUの発展が何よりも不可欠でした。
この「CPU」は、当初「マイクロプロセッサ」と呼ばれていました。
これを世界で初めて開発したのが有名な「Intel」社です。
そして、そのマイクロプロセッサの名称は「4004」と言います。
世界初のマイクロプロセッサ「4004」とは?





コンピューターを1つ上の次元へ
Intel社が、このマイクロプロセッサを開発したのは1971年です。
マイクロプロセッサ4004は、当時としては画期的なマイクロプロセッサであり、コンピュータ小型化の大いなる一歩でした。
この4004が登場するまでのマイクロプロセッサは、多数のトランジスタを組み合わせて回路を構築していたため、小型化・軽量化の面で難がありました。
しかし、4004はこの仕組みを変更し、一つの半導体チップの上に複数のトランジスタを集積しました。
その数は、実に2300個。
その結果、4004は当時としては画期的な性能と小型化を実現しました。
Intel社の隆盛
また、Intel社からは、この4004を搭載した新型マイクロコンピュータ「MCS-4」も同時に発表されています。
当時、創業してそれほど時間がたっていなかったIntel社が世間の注目を浴び、現在の中央演算処理装置製造の代表的企業にのし上がったのは、この2つの製品開発が一つの契機となっています。
なお、4ビットのマイクロプロセッサは、キーボードのような単純な仕組みのハードウェアでは現在も現役で利用されています。
4ビットのマイクロプロセッサが現在でも現役であることからも、4004の性能が1971年の時点ではいかに優れていたかが分かるかと思います。
「4004」の開発に携わった日本人「嶋 正利」氏とは?





嶋正利さんがいなければ4004は生まれなかった!?
4004開発で、一気に世間の注目を浴びるようになったIntel社。
実は、その4004開発のかげには、ある日本人技術者が大きく貢献していました。
その人物こそ、当時、日本計算機販売社(現ビジコン社)に勤務していた『嶋正利』氏です。
電卓に興味しんしん
嶋氏は、1943年静岡県生まれ。
東北大学理学部科学第二学科を卒業した後、『日本計算機販売社(ビジコン社)』に入社しました。
当初は事務計算に関する仕事をすることになっていましたが、事務計算には興味が持てなかったそうです
新人社員教育の時に触った電卓に興味があり、電卓部門への異動を希望したとのことです。
電卓の開発では、ICを基盤の上に搭載し、配線で論理を組んでいく「ワイヤード論理方式」で、プログラムというものはありませんでした。
大体の電卓の論理が飲み込めたところで試作機を制作。
この際、10枚以上ある基盤の間の配線を行ったそうです。
Intel社との共同開発
当時、日本計算機開発社の技術者であった嶋氏は、新しい電卓開発という社命により米国に飛び、当時は創業して間もなかったIntelと共同で電卓の開発に乗り出しました。
ちなみに、行った直後に行った打ち合わせでは、図面を広げ担当者に話しても通じず、論理の説明も理解してくれませんでした。
実はこの時のIntel社はメモリに特化した会社で、技術者の大半は化学と物性と回路の専門家であって、電卓に関する技術情報をほとんど持っていませんでした。
そこで嶋氏は、電卓のプログラムについて、全部開示し説明をしたそうです。
さて…そんなこんなで開発を進め、その過程で、計算などの工程を並列処理できる演算装置の研究が進められました。
すでにお分かりかとは思いますが、世界初のマイクロプロセッサである4004は、マイコンの中央演算処理装置として開発された訳ではありません。
当初は、電卓の中央制御装置として開発が進んでいたのです。
一向に開発が進まない
4004の開発においては、Intel社の「テッド・ホフ」と様々な議論を交わし、その結果を仕様書と設計計画書を作成しました。
嶋氏はそれをIntel社に渡し、日本に一時帰国。
それ以降は、Intel社がやるだろうと考えていました。
しかし、その4か月後、設計の論理回路のチェックをするつもりで再度Intel社に訪問すると驚愕の事実が。
回路設計者が1人雇われたばかりで、設計は全くされていませんでした。
開発費を払い、仕様書も渡していた嶋氏は激怒しました。
しかし、「喧嘩してもしょうがない」と腹を決め、4004CPU の論理設計を自分がやることにしました。
4004の開発に成功
その後、約1年の間に日本側と連携しつつ開発を進めました。
当時は、まだ性能が低かったマイクロプロセッサと低速のメモリの存在という技術的な困難にも係らず、新たな集積方法を開発し、見事に4004を開発しました。
その後、「嶋氏の才能」と「4004の市場展開の可能性」に目を付けたIntel社。
嶋氏を日本計算機販売社から引き抜くとともに、4004の共同開発費を同社に返却しました。
そして、4004を自社製品と位置付けました。
この時、日本計算機販売社が、電卓だけに留まらない4004の大きな可能性に気付いていれば…と思うと、何とも言えない気持ちになりますね。




コンピューター産業の大いなる発展
嶋氏は、Intelに引き抜かれた後もマイクロプロセッサ開発に大いに貢献しました。
代表的なものに、4ビットであった4004を発展させた8ビットマイクロプロセッサ「8080」があります。
この8080も、当時としては非常に優れた性能を有していました。
この8080の開発成功により、パーソナルコンピュータの製造・普及への道が開かれました。
さらに、パーソナルコンピュータの誕生は、研究者たちそれぞれに、正確で素早い計算能力・処理能力を提供し、さらにソフトウェア産業、プログラミング産業を生み出す契機となっていきました。
帰国後は教育者に
このような素晴らしい業績を持つ嶋氏は、1980年に帰国しました。
そして、「インテル・ジャパン・デザインセンタ」を設立したほか、会津大学で教鞭をとり、後進の育成に励みました。
また、1992年には、 「マイクロプロセッサのハードウェアアーキテクチャの最適化に関する研究」の論文で工学博士の学位を取得しています。
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ライトコードは、福岡、東京、大阪の3拠点で事業展開するIT企業です。
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