
【イーロン・マスク】アイアンマンのモデルになった超天才実業家!
2021.12.20
アイアンマンは実際にいる?





イーロン・マスクはアイアンマンのモデルになった超天才
出典:Wikipedia
スティーブジョブズを超える天才といわれ、アメリカの大人気コミック「MARVEL」に出演するアイアンマンのモデル。
そう、イーロン・マスクです。
今や、ザッカーバーグを抜いて世界第3位の大富豪(2020 年 9 月現在)にまで上り詰めました。
現在でも、宇宙事業やプライベートで話題に事欠かない彼の歴史をご紹介します。
幼少期からも天才プログラマー!
出典:Wikipedia
イケメン実業家としても有名なイーロン・マスク。
エンジニアや実業家として、数多くの功績を手にしている彼は、両親の影響を強く受けて育ちました。
非常に恵まれた環境で育ったイーロン・マスクですが、現在の成功に至るまでには様々な苦悩がありました。
生まれは南アフリカ
イーロン・マスクといえば、アメリカの実業家というイメージがありますが、出生地は南アフリカです。
母方の祖父が冒険家であり、南アフリカでの生活を強く希望したことが理由にあります。
最終的に 17 歳まで南アフリカで生活し、その後カナダへ移住しています。
エンジニアの父からの影響
イーロン・マスクがエンジニアとして活躍するきっかけとなったのが、父であるエロール・マスクの存在です。
エンジニアであった父は、イーロン・マスクが 10 歳の誕生日にコンピューターをプレゼントしました。
すると、イーロン・マスクの才能が開花します。
その実力は、12歳でコンピューターゲーム「Blaster」を制作してしまうほどでした。
後に、制作したゲームはゲーム雑誌へ販売し、500ドルほど収益を得たそうです。
母はモデル・祖父は冒険家
出典:Wikipedia
イーロン・マスクの母は、現在もモデルや栄養士など幅広いメディアで活躍するメイ・マスクです。
また、祖父は冒険家であり、飛行機乗りでした。
祖父は、自家用ジェットに乗り、アフリカ大陸からオーストラリアを往復するという珍しい記録を持っています。
イーロン・マスクのエンジニアとしての能力や、実業家としての探求心は、このような特殊な家庭環境で育ったことが影響しているのかもしれません。
両親の離婚後カナダへ
イーロン・マスクが 8 歳の時に、両親が離婚しました。
そして、弟のキンバル・マスクと共に父のエロール・マスクに引き取られました。
幼いころのイーロン・マスクは内向的な性格でありました。
そのため、小学生の時に気絶するまで殴られたり、階段から突き落とされて入院するようないじめを経験したそうです。
カナダへの移住を決める
それ以降は順調に生活を送り、プレトリア男子校(高校)を卒業しました。
しかし、南アフリカには徴兵制度がありました。
その理由もあり、父の反対を押し切り、18 歳になったイーロン・マスクは弟と共にカナダに住んでいる母親の元へ移住します。
スタンフォード大学院を2日で退学
高校を卒業後、カナダへの移住後にクイーンズ大学に入学。
そして、アメリカのペンシルバニア大学へ編入。
さらには、高度な物理を学びたいと考え、名門スタンフォード大学院へ進みました。
しかし、なんと彼はスタンフォード大学院を 2 日で辞めてしまうのです。
Windows95に衝撃を受ける
その理由は、1995 年に販売された「Windows95」の存在でした。
彼はずっと、「インターネット」「クリーンエネルギー」「宇宙」の3つに興味があり、いずれの分野も人類に貢献できるものと考えていました。
Windows95 を目にした彼は特殊なテクノロジーの時代が来ると考え、大学院を退学する決断をしたのです。


起業するも自分の会社を追い出される!
イーロン・マスクは、後のインタビューで次のように語っています。
大学院にいれば博士号は取れるが、最終的に世界を支えるものにはならない。
彼の成功の秘訣は、学歴にこだわらず、人類規模のスケールで思考し行動し続けたことにあるのでしょう。
ZIP2の立ち上げ
大学院を退学したイーロン・マスクは、弟のキンバル・マスクと友人の 3 人で、ZIP2 という小さな会社を立ち上げました。
ZIP2 は、彼が得意だったインターネットに関する事業を行う会社でした。
当時では革新的な、インターネット上での店舗の情報紹介や、メディア関連の事業のオンライン化をサポートするソフトウェアの提供などを行いました。
夢を追う不屈の精神力
この時のイーロン・マスクは貧乏でした。
アパートの代わりに小さな事務所を借り、ソファで寝ながら近くの施設でシャワーを借りるという生活を繰り返す、侘しい暮らしをしていました。
さらに、最初の頃はコンピューターは1つしかなく、コンパイル中のサイト停止を避けるために、夜にコードを書いて朝アップするという毎日でした。
キンバル・マスクは、ほとんどコードを書けなかったため、全てのコードを書いていたのはイーロン・マスクでした。
そして売却!
この ZIP2 は、当時の最先端をいくソフトウェアを開発し続けました。
その甲斐もあり、最終的には大手のPC会社「COMPAQ」に3億ドル以上で売却します。
この時、イーロン・マスクは株式を 7% 保有していたことから、28 歳の時点で 3000万ドル以上の大金を手にしました。
X.COMの立ち上げ
イーロン・マスクは ZIP2 の売却益を元手に、インターネット上で銀行を作ろうと考え、X.COM を立ち上げます。
しかし、同事務所で働いていたピーター・ティールが、X.COM と同じ事業をする会社であるコンフィニティ社があの「Pypal(ペイパル)」を立ち上げ、次世代のインターネットバンク事業のポスト争奪戦が始まります。
しかし、大量の広告宣伝費用を使い、互いに疲弊したところで X.com とコンフィニティ社は合併するという、驚きの展開が待っていました。
Paypalの買収
Paypal は、最終的にインターネットオークションで有名な eBay により 15憶ドルで買収されます。
この時の売却益で、1億5000万ドル以上の株式を取得し、以前から興味のあった宇宙事業に乗り出すことになります。
ただ、イーロン・マスクは、ピーター・ティールとは全く意見が合いませんでした。
そして、合併から 2 か月後にピーター・ティールは会社を去ってしまいます。
これを機に、イーロン・マスクを先頭としてインターネットバンク事業を行うはずだった Paypal ですが、ここで事件が勃発!
計画された不信任案決議
なんと、イーロン・マスクが家族と海外旅行に出たタイミングで、イーロン・マスクの不信任案決議が密かにおこなわれ可決されてしまうのです。
そして、イーロン・マスクのポストに代わって入ったのは…
なんと、退社したはずのピーター・ティールでした…!


宇宙事業とテスラモーターで夢を叶える
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Paypal を追い出されたイーロン・マスクは、インターネット事業から宇宙事業へシフトします。
しかし、宇宙事業には以前までの事業とは比較にならないほどの多額の資金が必要です…
イーロン・マスクは悪戦苦闘します。
SpaceXの立ち上げ
イーロン・マスクは、2002 年に SpaceX という会社を立ち上げました。
SpaceX は、学生時代から夢見ていた宇宙事業関連の会社です。
人工衛星の製造に携わるトム・ミューラーや、ボーイング社の航空宇宙エンジニアであるクリス・トンプソン等と手を組みました。
しかし、ロケットを発射するには莫大な費用が掛かりました。
打ち上げに失敗するたびに、数百万ドルもの資金が飛んでいってしまうのです…
NASAからの仕事を受注
その当時、アメリカ航空宇宙局である NASA は「宇宙ステーションへ補給物資を届ける」という仕事を発注するために、打ち上げ機を設計する民間宇宙事業会社を探していました。
イーロン・マスクは、NASA との契約は、宇宙事業を行う上で大きなチャンスだと考えます。
そこで、自社の SpaceX を大々的に宣伝し、NASA へ猛アピールしました。
その甲斐あって、2006 年に商業起動輸送サービスである「COTS」と見事に契約を結びました。
以降、デモ機の打ち上げや有人型の宇宙船開発、軍事衛星の打ち上げなど様々な場面で成功を収めます。
電気自動車メーカーTESLAを起業
イーロン・マスクは SpaceX と同時期に、電気自動車メーカーの 「TESLA (テスラ)」を起業します。
しかし、土地代が初期に予定していた予算の 5 倍になってしまったり、市場投入第一号であるロードスター販売までに、工場の故障や予想を上回る費用が掛かり、破産寸前まで追い込まれていました。
この時、Paypal の売却益や、NASA との契約で得た資金を、全てテスラに回すことで何とか事業を繋ぎとめます。
太陽光発電会社ソーラーシティを設立
その後、事業を立て直したイーロン・マスクは、2006 年に太陽光パネルの製造をおこなう会社であるソーラーシティを設立します。
ただ屋根にソーラーパネルを取り付けるのではなく、屋根板自体が太陽電池になる「ソーラールーフ」を開発し、更なる事業拡大を目指しています。
この時点で、学生時代からの念願であった「インターネット」「クリーンエネルギー」「宇宙」と、自身が人類に貢献できると考えた事業の全てに携わっています。


さいごに
イーロン・マスクは最終的に、「化石燃料からの解放」と「人類の火星移住」が目標と語っています。
実現すれば、アイアンマンのような人間の救世主になるかもしれません。
実業家としてのインタビューでは、次のように語っています。
理想を信じることに執着し、実際に価値のない非現実を追い求める
彼のあくなき探求心が尽きる事は無いでしょう!
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さいごの一言




書いた人はこんな人

- 「好きを仕事にするエンジニア集団」の(株)ライトコードです!
ライトコードは、福岡、東京、大阪の3拠点で事業展開するIT企業です。
現在は、国内を代表する大手IT企業を取引先にもち、ITシステムの受託事業が中心。
いずれも直取引で、月間PV数1億を超えるWebサービスのシステム開発・運営、インフラの構築・運用に携わっています。
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