玄人好みの高機能ブラウザ
(2022年6月16日サポート終了)
通ぶっちゃって〜
あんまりよく知りませんけど、誰が作ったんです?
では今日はテッちゃんとOperaの歴史について解説するかのう
ウェブブラウザの栄枯盛衰
2022 年 6 月 16 日、かつて圧倒的なシェアを誇ったマイクロソフトのウェブブラウザ「Internet Explorer」のサポートが終了しました。
この機に、ウェブブラウザのシェアの変遷が一目でわかる動画が話題となりました。
最初に普及したブラウザ「Mosaic(モザイク)」が発表されたのは1993年のことです。
Mosaic が登場したことによってインターネットが一般に普及し始めました。
その後、「Netscape Navigator」vs「Internet Explorer」のブラウザ戦争。
IEの天下に挑戦した「Mozilla Firefox」の台頭。
IE、 Firefox、Chromeの三国時代を経て、「Chrome」一強と、時代は移り変わってきました。
その中で、常に1〜2%のシェアを保ち続けているブラウザがあります。
1996年に登場した「Opera」です。
これを開発したのがノルウェーのエンジニア「ヨン・スティーブンソン・フォン・テッツナー」です。
現在は開発元のオペラ・ソフトウェアを離れ、独自のブラウザ「Vivaldi」を開発・運営しています。
彼がどのように Opera を開発し、現在に至ったか、見ていきましょう!
Operaの誕生
「ヨン・スティーブンソン・フォン・テッツナー」は1967年8月29日生まれ。
アイスランドのレイキャビク出身のエンジニアです。
父がノルウェー人、母がアイスランド人で、12歳まで祖父母とアイスランドで暮らしていました。
1979年にノルウェーに移住。
1981年、14歳の時に初めて買った自分のパソコンはイギリス製の「シンクレア ZX81」。
MSXのようにテレビにつなぐホームコンピュータで、メモリはわずか1KB。
このコンピュータで電話帳のようなデータベースやゲームを作っていました。
そのままオスロ大学に進学し、在学中にはイギリスのヨーク大学に1年間の留学経験もあります。
大学卒業後はノルウェーに戻り、1991年、大手通信業者の「テレノール・リサーチ&デベロップメント」に就職します。
同僚とOperaを開発
テッツナーが就職した1991年、「ティム・バーナーズ=リー」によって世界初のWebサイトが公開されました。
しかし、この当時はまだ高価なコンピュータでしか見れませんでした。
1993年11月に米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)がウェブブラウザ「Mosaic(モザイク)」を発表します。
Mosaicはテキストと画像を同一のウインドウ内に表示させることができる最初のブラウザです。
当時としては画期的なブラウザでしたが、処理はまだ原始的で、テッツナーは「これなら自分でも作れるのでは?」と考えます。
そこで、同僚の「ゲイル・イヴァルセイ」とともにブラウザ開発を開始しました。
しかし、このプロジェクトは途中で中止となってしまいます。
オペラ・ソフトウェアとして独立
1995年8月テッツナーとイヴァルセイはテレノールでの事業を引き継ぐ形で「オペラ・ソフトウェア」を設立します。
1996年、最初の一般公開版であるOpera のバージョン2.0がシェアウェアとしてリリースされます。
Netscape Navigator が1994年、Internet Explorer が1995年にリリースされていますので、それらより後発のブラウザとなります。
しかし、ネスケやIEはMosaicを受け継ぐ形で開発されたのに対し、Operaは独自に開発されたため「第3のブラウザ」と呼ばれました。
軽量・軽快な動作
キャッチコピーは
”The Fastest Browser On Earth”
(地上最速のブラウザ)
とにかくプログラムコードを小さくまとめることで軽量化、高速化が図られました。
1998年のバージョン3.5の時点でも、プログラムサイズは1.15MBと、当時のフロッピーディスク1枚におさまる容量でした。
10年前のパソコンでも動くことを目指し、性能の低いマシンや古いOSでも高速で動くブラウザでした。
タブブラウザの草分け
それまでのブラウザは一つのウインドウで一つのページしか表示できませんでした。
しかし、Operaはタブの切り替えを行うことで複数のWebページを閲覧できる最初のタブブラウザです。
これにより、いちいちページを開きなおす必要がなく、軽快なネットサーフィンが実現しました。
最初のバージョンから「MDI(Multiple Document Interface)」という方式を採用しタブブラウジングを実現しています。
この機能は後に Firefox や Chrome でも採用されていきます。
高度なカスタマイズ性
Opera は当初からユーザー本位で作られています。
そのため、ユーザーが自由に使い方を決められるよう、様々な機能がカスタマイズ可能となっています。
- ショートカットキー
- マウスジェスチャー
- メニュー
- ツールバー
- デザインも自由自在
スキンやテーマも変えられるばかりか、ユーザースタイルシートにも対応し、Webページが指定するスタイルシートを無視して好みの設定で表示できるモードもありました。
自分好みにカスタマイズし、ユーザーが最も使いやすいブラウザに育てていく楽しみがあったのです。
あれ便利〜!
今ではどのブラウザでも採用されておるな!
Operaの普及に奮闘
Netscape Navigator と Internet Explorer のブラウザ戦争をよそに、Opera は地道に発展を遂げていきました。
一般的なブラウザはフリーウェアですが、Opera は違います。
無償で使うには画面内に広告を表示する必要があり、広告を消すにはライセンス登録しなければなりません。
しかし、根強いファンが多いこともあったため、ユーザーが自身のブログで紹介して、一定数のリファラーを得られれば無償でライセンスが供与されるというサービスもありました。
熱心なユーザーによるコミュニティも立ち上がり、多くのファンに支えられ Opera は発展していきます。
Operaファンのコミュニティ
2001年、オペラ・ソフトウェアによる公式SNSコミュニティ「My Opera コミュニティ」が発足しました。
無料でブログやオンラインアルバム、オンラインストレージ、掲示板などが提供されました。
またIDを取得すれば、パソコンと携帯電話のブラウザを同期させられる「Opera Link」が使えました。
この同期機能も Firefox などに先駆けて実装されています。
大西洋を泳いで横断?
2005年、Opera のバージョン8がリリースされました。
ユーザーの期待度も高く、48時間で60万ダウンロードを超えました。
これに気を良くしたテッツナーは「公開96時間以内に100万ダウンロードを超えたら、ノルウェーからアメリカまで大西洋を泳いで横断する!」と宣言しました。
この話は、もともとは内輪受けのネタだったのですがPR担当者がうっかりプレスリリースしてしまいました。
公開4日後に見事105万回のダウンロードを達成し、テッツナーは実際に泳ぐ羽目に。
PR担当者は責任を取ってゴムボートで併走しましたが、そのボートが沈没したため、挑戦はわずか1時間で終了となりました。
この顛末は伝説的なネタとしてネットで広まり、Operaの知名度アップに一役買いました。
組み込み式の分野で売上を稼ぐ
Opera8.5では完全に無償化され、過去ライセンス料を支払っていたユーザーにも返金されました。
儲けをだしていたのは組み込みブラウザの分野です。
もともとOpera は Windows や Macintosh、Linux などの OS を選ばず動くブラウザです。
加えて非常に軽量だったこともあり、携帯電話やデジタル家電に適していました。
2000年代にはニンテンドーDS や Wii などのゲーム機やセットトップボックスなどのブラウザとして採用されました。
また、モトローラやノキア、ソニー・エリクソン、京セラなどの携帯電話用のブラウザに Opera が使われています。
スマートフォンが普及する以前に、Opera によって携帯電話でフルブラウジングができていました。
こうした組み込み式のブラウザの開発・提供により Opera は運営されていました。
ガラケー末期は確かにネットをフルブラウジングできる端末が話題を集めておったわ
しかし、スマートフォンの時代になって、必要なくなったしまったがのう
テッツナーの独立とVivaldiの誕生
Webの仕様は目まぐるしく変わっていくため、開発は苦労の連続でしたが、おかげでエンジニアたちは鍛えられ、様々な機器に対応することができました。
オペラ・ソフトウェアは順調に成長し、2004年にはオスロ証券取引所への株式公開を果たします。
2010年時点の Opera の利用者数は合計1億4000万人以上に上りました。
デスクトップ版でのシェアは依然低かったものの、Opera Miniが7100万人、その他の端末が2000万人と、組み込み型で1億人近いユーザーがいた計算になります。
しかし、会社が大きくなるに従い、開発方針をめぐってテッツナーは経営陣と対立していきます。
2010年1月、テッツナーはオペラ・ソフトウェアのCEOを辞任。
翌年には完全に会社を離れることになります。
次なるブラウザの開発に着手
自ら立ち上げたオペラ・ソフトウェアを離れたテッツナーは自分の考えに基づいた新しいブラウザの開発に着手します。
スローガンは、
"A new browser for our friends"
(私たちの友人のための新しいブラウザ)
です。
やはり、ビッグビジネスより、一人一人のユーザーのためのブラウザが作りたかったのです。
有名な作曲家にあやかって「Vivaldi」と命名
新しいブラウザは「Vivaldi」と名づけられました。
バロック音楽後期の作曲家アントニオ・ヴィヴァルディに由来しています。
覚えやすくて、世界中で知られていて、革新的な名前
というのがその理由で、「Vivaldi」も革新性をもったブラウザを目指しました。
作曲家ヴィヴァルディはオペラもたくさん作曲していますので、音楽つながりでもあります。
Operaに不満を抱くユーザーを救済
2013年、Opera のレンダリングエンジンが Presto から Blink へと変更されたことに伴い多くの機能が削除されてしまいました。
また、2014年3月1日をもってMy Operaコミュニティもサービスが終了。
Operaファンたちの不満がたまっていました。
テッツナーは彼らを救うため、My Opera に代わるバーチャルコミュニティサイトとして「Vivaldi.net」を開設。
2015年に新会社「Vivaldi Technologies」を設立し、2016年には新たなブラウザ「Vivaldi1.0」を公開しました。
Operaの精神を復活させる
Vivaldi は Chromium をベースとしたブラウザです。
Opera 同様、軽量・高速で、高いカスタマイズ性を誇ります。
サイトのテーマ色に合わせてウィンドウの色を変えるカメレオンカラー。
メニューバーや右クリックした時に出てくるコンテキストメニューに項目を追加・削除する機能。
タブ機能が強化された、複数タブをまとめる「タブスタック」。
「マウスジェスチャー」でマウスだけで操作できる一方、キーワード入力やカーソルだけで操作できる「クイックコマンド」という機能もあります。
ブラウザやアプリがよりシンプルな方向に行く中、徹底してヘビーユーザーを満足させることにこだわった高機能ブラウザとなっています。
ビジネス面で支える日本人COO
テッツナーと Vivaldi を支えているのが冨田龍起(とみた・たつき)氏です。
冨田氏は2001年にオペラ・ソフトウェアに入社し、テッツナーとともに仕事をしてきました。
OperaのIPO、日本を含むアジア各国、北米での現地法人立ち上げやM&Aなどの経営業務に携わっていました。
オペラ・ソフトウェア退社後は、テッツナーと「本当に自分たちが使いたいブラウザを作ろう」と意気投合し、Vivaldi Technologies を一緒に立ち上げ、COO(最高執行責任者)に就任しています。
収益化に関しては、外部からの投資やユーザーの個人データ販売は行っておらず、検索エンジンやECサイトとのパートナー契約により、ユーザーがそれらを使用することで利益をあげています。
会社の規模も小さくなったため、大儲けしなくてもユーザー満足度の高いブラウザの開発に集中できる体制になっています。
当時からコミュニティの活動も盛んで、「テッちゃん」という愛称も2007年にオペラ・ソフトウェア日本支社で行われたフォーラムで、ファンからの提案で決まったんじゃ
Operaの変質
一方、テッツナーが抜けた Opera は変わってしまいました。
古くからのユーザーに見放され、ブラウザとしてのシェアを落としていきます。
そこに目を付けた企業がありました。
中国企業による買収
2016年6月、中国のアンチウイルスソフトウェア企業、「奇虎360」を中心としたコンソーシアムによるオペラ・ソフトウェアの買収が発表されました。
「Opera」ブランドを含むブラウザ事業は中国企業のものとなります。
Operaでアフリカを狙う
買収された後、2018年7月に米ナスダックに上場されました。
Operaのシェアは落ち続けていましたが、古い低性能のコンピュータでも快適に動くことから、アフリカなどの途上国では高いシェアを保っていました。
そこに目をつけ、Opera ブランドのアプリを通じて、モバイルマネー「OPay」を普及させます。
これを中核として
- 三輪車配車アプリの OTrike
- バス配車アプリ OBus
- 自動車配車アプリ OCar
- 小口融資の OKash
- フードデリバリーサービス OFood
などを次々に投入してOPayの経済圏を作りあげました。
ところが、小口融資の貸出期間や金利がアプリ上の説明と違い、年率365%〜876%に上る「略奪的な金利」になっていることが発覚します。
このことが批判され、結局、小口融資以外のサービスもほとんどが停止に追い込まれました。
インターネットの自由を守る!
テッツナーは Vivaldi を開発する傍ら、ビッグテックによるネットの支配に対し異議を唱え続けています。
Opera 時代にも、マイクロソフトが IE を Windows にバンドルすることに反対していました。
欧州委員会に排除を求める申し立てを積極的に行い、2009年にマイクロソフトは欧州向け Windows 7 に Internet Explorer を搭載せず出荷することを決定しています。
そして、現在は「サーベイランス(監視)広告を禁止すべき時が来た」として、ターゲティング広告に反対しています。
現在、多くのネットサービスが無料で提供されているのは、広告モデルによるところが大きいのは事実です。
しかし、テッツナーは収集されたデータが
ユーザーのあずかり知らないところで利用されている現在のシステムは、巧妙な操作や差別、詐欺や犯罪行為などにつながるリスクをはらんでいる
といいます。
テッツナーの働きかけもあり、2021年、ノルウェーの消費者委員会は「サーベイランス(監視)」に基づいた広告の禁止を求める報告書を提出しています。
Vivaldi でも広告やトラッカーのブロック機能を標準搭載し、ユーザー自身がプライバシーを守れる選択肢を提供しています。
この先、インターネットがどこへ向かっていくのか、大企業だけではなく、テッツナーのようなネットの自由を求めるエンジニアの動きにも注目したいところですね!
タブスタックの機能は特に便利で、いっぱいタブを開いて仕事したりしてる人にとってはまとめておけるから本当に便利じゃ
Vivaldiは 機能が多いから初めての人は複雑すぎてとっつきにくいかもしれんの
まだまだテッちゃんにも冨田さんにも今後も頑張っていただかないとのう!
この記事が100万PV達成したら、太平洋を泳いで渡りましょうよ!🔥
(まあ、さすがに100万PVなんて無理じゃろうが)
あ、間違えて100PVって書いちゃった!
てへっ
なんかそういうデータあるんですか?