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  • ザ・インターネットサムライ「村井 純」

    広告メディア事業部広告メディア事業部
    2020.01.24

    ITエンタメ

    インターネットがないと生きてけない!

    ミツオカミツオカ
    タピオカ!たかし!縦読み不倫…!!…ポチポチ
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    ミ、ミツオカ!何をしておるのじゃ…!?
    ミツオカミツオカ
    あ、暇なのでSNSをチェッキーナしてました!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    ミツオカはネットが好きじゃな〜!ネットニュースにSNS、もうインターネットなしの生活は考えられんくなったの
    ミツオカミツオカ
    インターネットがなくなったら生きていけません!スキャンダラスなニュースを読まないと死んでしまいます!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    だろうな!!ということで、今回は日本のインターネットの歴史を辿ってみようかの〜!

    インターネット・サムライ

    村井純引用:ウィキペディア

    日本のインターネットの歴史を語るとき、どうしてもその人の名前抜きでは語ることのできません。

    その人こそ、村井純(むらいじゅん)氏です。

    村井氏は日本の計算機科学者で、日本でインターネットが始まるキッカケをつくり、技術的基盤から運用、啓蒙活動にずっと関わり続けています。

    日本のインターネットの父」といわれ、英語圏では『インターネット・サムライ』のニックネームで呼ぶ人もいるのです。

    村井氏は、まだ「OS」というモノがない時代に、オペレーティングシステムの研究から始まり、日本で最初に『コンピュータ同士を接続する』ネットワークの研究に取り組んだ人物なのです。

    村井氏は現在、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科委員長 兼 慶應義塾大学環境情報学部教授をされています。

    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    実は村井氏、1995年の新語・流行語大賞でトップテン入賞した「インターネット」で受賞されておるのじゃ
    ミツオカミツオカ
    なんと!すごいです〜!!

    コンピュータに目覚める

    村井氏が慶應義塾大学工学部の学生だった頃、ようやくメインフレームという形でコンピュータが導入されてきました。

    当時のコンピュータは、パンチカードにプログラムを書き、行列に並び、「計算してください」とお願いして順番に計算してもらっていたのです。

    村井氏は、そんなコンピュータに全く魅力を感じていませんでした。

    人生を変える出会い

    しかし、3年のころ数理工学課に移り、演習の授業でLISPの研究をしていた中西正和教授と出会い、ミニコンやプログラムという世界にのめり込みます。

    つまらないと思っていたコンピュータへの見方が、これまでとは180度変わり、3日くらい連続で徹夜をすることが度々あったそうです。

    こうした師に恵まれた環境の下で、『人間を中心に考えるコンピュータ』を考えていくようになっていきました。

    人間のためのコンピュータ

    そんな村井氏が中西教授から「やれ!」と言われたのが、『オペレーティングシステムの分析』です。

    ここから『人間が真ん中にいてコンピュータがそれを支える』というモデルを描けるようになったといいます。

    複数のコンピュータが人間の周りにあった時に、一台ずつ指示をしていくのではなく、これらが力を合わせて人間を支えるというモデルです。

    この発想が村井氏のコンピュータサイエンスと、コンピュータネットワークの研究の出発点となっていきました。

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    村井氏が学生の頃のコンピュータは、計算の結果がでるのに数日かかる事が当たり前だったそうじゃ。
    ミツオカミツオカ
    数日も…昔はとても手間がかかったんですね
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    村井氏は当時のコンピュータについて、のちに「非常に面白くなかったですね。…大嫌いでした。「なぜ人間がコンピュータに頭を下げないといけないのかどうも分からなかった」と述べておるんじゃ

    UNIX開発と出会い

    UNIXというオペレーティングシステムは、世界で初めてコンピュータ会社でない所で作られた基本ソフトです。

    それまでのスタイルは多くの場合、自社コンピュータの性能を引き出すために自社開発するのが普通でした。

    しかし、UNIXはベル研究所という研究所が開発したのです。

    コンピュータ会社が作ったオペレーティングシステムとは違う、同じマシンで走る、全く別のオペレーティングシステムを開発するというアプローチでした。

    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    この開発は1969年から始まっており、デニス・リッチーケン・トンプソンという2人のベル研究所の研究者が始めたのじゃ
    ミツオカミツオカ
    デニス・リッチー氏は後の「C言語」や「ファイル」という概念を発明した人物ですね!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    また、デニス氏はコンピュータのノーベル賞といわれるチューリング賞を受賞している人物でもある。

    デニス氏との議論の末に

    ken_thompson_左:ケン・トンプソン 右:デニス・リッチー
    出典:ウィキペディア

    村井氏は、このデニス・リッチー氏が来日した際に会っているのですが、この時にこのような議論が交わされたそうです。

    村井氏
    「人間のためのコンピュータといっても、オペレーティングシステムは全部英語を基準に書かれている。
    変数型も8ビットで26文字のアルファベットしか入れられない構造になっているじゃないか。
    ましてや、世界中の人が全員英語を使っているわけではないだろう。」

    デニス氏
    「え?ほんとうかい?」

    この議論から、日本語をどうやってコンピュータで表現するかという研究が始まったのです。

    一年後に村井氏が招かれて渡米した際、ベル研究所に招かれてデニス氏に見せられたものは、漢字を表示するビットマップディスプレイでした。

    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    デニス氏は村井氏との議論後、1年をかけてこの研究を披露したそうじゃ。
    ミツオカミツオカ
    たった1年でお披露目できるまでに研究を進めたのですね…!

    世界中に広まるUNIX

    一方、ケン・トンプソン氏は、カリフォルニア州立大バークレー校でUNIXについて教えていました。

    この時バークレー校にいた学生、ビル・ジョイと、スタンフォード大学のネットワーク環境のエンジニアだったアンディ・ベクトルシャイムは、一緒に組んでバークレー校で独自にUNIXを進化発展させ始めました。

    グーグルの社長も、アップルの社長も、みんなこの時の学生でUNIXの開発に携わっていたのです。

    ここでつくられたUNIXは、BSD(Barkley Software Distribution)という名称で知られています。

    彼らは、これを世界中に無償で配布したため、世界中の人たちがソースコードを見て研究し、ほとんどの大学や研究所がUNIXを使うようになっていったのです。

    ミツオカミツオカ
    今でも使われているUNIXには、そんな背景があったのですね。
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    村井氏は後に「この活動やその背景の哲学がなければ、今のインターネット文明は存在していなかった」と述べておるんじゃ
    ミツオカミツオカ
    その後、村井氏はビル氏らと共にUNIXにTCP/IPを実装させる活動をはじめたのですね
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    その通り!そして、あっという間にインターネットは世界に広がったんのじゃ!

    日本のネットワーク開発

    その後、村井氏は東京工業大学へ移りコンピュータネットワークの研究に本格的に取り組むようになります。

    そこで始めたのが、日本の大学同士をコンピュータネットワークで繋ぐということでした。

    これが「JUNET」の誕生です。

    JUNETは、たちまち100以上の大学と繋がり、日本でもコンピュータネットワークについての認識ができてきました。

    しかし、ネットワークを広めていくにあたっては障壁があったのです。

    いざ、東京大学へ

    村井氏の活動は大学の研究の一環でした。

    しかし、当時、コンピュータネットワークの研究には学会がなく、研究をしても発表の機会がなかったのです。

    「世間に認められにくい」と感じた村井氏は、思い切って東京大学に移ることにします。

    東京大学での村井氏の立場は、有期教員でした。

    認められるまで

    期間に限りがある中、全力で初期のインターネットの開発に取り組みます。

    しかし、「ダイヤルアップではなく、専用線で接続する必要がある」ということを説得して回っても、理解してくれる人がいませんでした。

    また、そのことを東京大学で説明すると、「民間企業と国立大学が接続するなどとても考えにくい」と言われてしまいました。

    ただ、村井氏は、アメリカでUNIXの開発に携わった経験から、こんなことでは引き下がりませんでした。

    知恵を働かせた結果、著書の発行元でもある「岩波書店」の許可を取りつけることに成功します。

    ミツオカミツオカ
    民間のインターネット接続第一号は「岩波書店」だったのですね!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    信念をもって行動を起こした村井氏の根気勝ちとも言えるのう〜

    日本のネットワークを世界と繋ぐ

    そして、村井氏は、JUNET アメリカのネットワークを繋ごうと考えるようになり、様々な研究をしていました。

    そんな時、アメリカとの間でデータベースにアクセスするための専用回線が用意され、この回線を使って電子メールをやり取りしたいと、村井氏はアメリカへ呼ばれました。

    ついに海外と繋がる

    ここは村井氏の技術の出番!と言いたいところですが…

    当時のインターネットは、信頼性に乏しかった為「この方法でやりましょう」とは言えなかったと語っています。

    本音をいうと村井氏は、密かに「この回線を使ってアメリカにインターネットを繋いでやろう」と考えていたので、

    「24時間使えるように全部の帯域をX.25でデータベースアクセス用に使ってもらい、あまりの帯域があれば電子メールの交換ができるようにする事で、一つの技術でこの回線を両方の目的に使うことができます。」

    と提案しました。

    実は、データベースで検索するデータは、ほとんどが小さなもので、電子メールも大した量ではないのです。

    そして、にわか作りで「X2.5」上でインターネットを動かす技術を開発し、乗せたところ完璧に始動したのです。

    ミツオカミツオカ
    こうして村井氏の目論見は成功したのですね!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    これが、日本のインターネットがはじめて海外とつながった瞬間じゃ(平成元年1月15日の事)

    日本が世界とつながる条件

    日本のコンピュータネットワークが世界とつながっていく兆しが見え始め、ある意味存在感を示すことができはじめた時の事です。

    そういったこともあり、アメリカの有名な研究者が村井氏の元を訪れるようになりました。

    そこでの議論は、「アジアをどうやって繋いだらいいだろうか?」ということでした。

    インターネットを世界中に広げるにあたり、欧米でない地域も含む多様性の導入を、どうやって欧米の関係者に理解してもらうかということに、日本の役割が重要になると村井氏は考えていました。

    ミツオカミツオカ
    この時、すでに北米と欧州は順調に進展していたそうですね
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    北米と欧州の進展が早かったのは、コミュニケーションが英語でとれる地域だったからじゃの
    ミツオカミツオカ
    言葉の壁ってやつですね

    言葉の壁

    その頃のUNIXは、まだ自由に日本語を使える環境にありませんでした。

    日本のコンピュータサイエンスの研究者たちも、お互い電子メールのやり取りをしていましたが、英語ではなく「ローマ字で日本語」を書いているような状況でした。

    研究者の多くは、論文などの英語は理解することはできても、「英語でコミュニケーションはとれない」ということが分かりました。

    村井氏と研究者たちは必要に迫られ、日本語処理とインターネットの研究が急速に進展します。

    それまで英語一辺倒であったコンピュータの環境に、最初に日本語の処理が入ったことによって、日本以外の各国語の処理が開発されるようになりました。

    これをソフトウェアのインターナショナライゼイーション(internationalization)といいます。

    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    インターナショナライゼイーションを、通称「i18n」と呼んでおる
    ミツオカミツオカ
    「18」は、最初の「i」と最期の「n」のあいだの文字数ですね

    必要不可欠な日本の研究者

    ベル研究所とISO(国際標準化機構)も「i18n」で動きはじめた為、後の「Microsoft Windows」や「MSOffice」の国際化もこれに準拠することとなったのです。

    こうした意味において、村井氏をはじめとする日本のコンピュータサイエンスが、世界のインターネット進展に果たした役割は、とても大きかったと言えるでしょう。

    これをキッカケにして「日本の研究者をコアのメンバーに入れないとインターネットは世界のものにならない」という意識が浸透したと、村井氏はのちに述べています。

    その後、村井氏はグローバルなインターネットの国際組織『インターネットソサイエティー』の最初の国際会議の開催を、1992年神戸で成功させ、世界と日本のインターネット発展のキッカケを作りました。

    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    もう一つ、インターネットが世界に広がる大きなきっかけとして、 WWW(ワールドワイドウェブ)というものがある
    ミツオカミツオカ
    この技術の国際標準化組織であるW3C(World Wide Web Consortium)ができた時、多国語標準化の件もふくめ村井氏に相談があり、一つは欧州、一つは日本に作ることになったそうですよ
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    現在、日本のW3Cは慶応大学にあるのじゃ!!

    さいごに

    引用:ウィキペディア

    こうして村井氏は、日本にインターネットを誕生させ、世界と接続し、国際的な地位を高めたのです。

    まさに「インターネットの父」「インターネット・サムライ」と呼ばれる理由がお分かりになったでしょうか。

    村井氏は、今の社会は「インターネット文明」の中でできていると言っています。

    そして、インターネット文明の中で私たちがどういう未来を作っていけるのかは人間次第であると述べています。

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    わしらは、インターネットという文明をどのように発展させて、どのように使っていくのかについて、未来に責任を負っているとも言えるの!
    ミツオカミツオカ
    まだまだ現役でご活躍中の村井氏!今後もインターネットの発展を見守っていただきたいですね!
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    よし!ミツオカもワシが教えた技術を駆使してインターネットの世界に革命をおこすのじゃ!
    ミツオカミツオカ
    はい!燃えてきました!!日本中から縦読み不倫を探してくる技術を開発したいと思います!🔥
    にゃんこ師匠 にゃんこ師匠
    ・・・。
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