ショーン・パーカーって誰?Facebookに投資?
映画「ソーシャル・ネットワーク」で、Facebookに投資してた強欲そうな人!
そんな単純な人物でもないのじゃ…
では、実際の彼がどんな人だったのか見ていこうかのぅ!
ダークなイメージのIT起業家ショーン・パーカー
どんなに優れた技術を持っていても、IT企業として成功するには巨額の資金が必要です。
技術者が持ちえない人脈やノウハウを駆使し、投資を集める能力を持った人がいてこそ、世界を席巻するサービスが生まれるのです。
起業先進国アメリカでは次々とスタートアップ企業に投資し、成功に導く「シリアルアントレプレナー(連続起業家)」が数多く活躍しています。
その一人がNapsterの創業者にして、Facebook(現Meta Platforms)の初代CEOとしても有名なショーン・パーカーです。
卓越したビジネス手腕を持つ一方、派手好きで素行不良な問題児としても知られています。
実際にはどんな人物だったのでしょうか?
クラッキングでFBIに逮捕!?
ショーン・パーカーは1979年12月3日生まれ。
アメリカのバージニア州ハードンで育ち、7歳の時に父親からプログラミングを教わり、コンピュータの世界に興味を持ちました。
学生時代の彼は、本人曰く「とても気まぐれな生徒」だったとのことで、成績は「A」か「F」の両極端。
12歳の時には新聞の発行を試みたり、模型飛行機を大量に仕入れて販売し、利益を上げるなど、ビジネスの世界に強い興味を抱いていました。
が、16歳の時にはクラッキングを行ったことでFBIに逮捕されています。
行動力のかたまりである一方、この頃から、一線を踏み越えてしまうこともあったようです。
ファイル共有サービスNapsterで注目される
彼を一躍有名にしたのが音楽ファイル交換サービスNapster(ナップスター)です。
1999年、高校を卒業したばかりの彼は、Napsterを開発したショーン・ファニングととも Napster 社を起業します。
ユーザー同士が互いに音楽ファイルを自由に交換できるという画期的なサービスで、またたくまに全米に広まりました。
しかし、著作権を無視したものだったため、アメリカレコード協会やアーティストたちから訴えられ、会社はつぶされてしまいました。
ちなみに、Napster自体は合法サービスとして仕切り直し、2008年に小売大手ベストバイに1億2100万ドルで買収されておるぞ!
ソーシャルサービスの先駆けPlaxoを立ち上げるが・・・
Napsterは潰れてしまいましたが、そんなことでめげる彼ではありません。
2002年、ソーシャルネットワーキングサービスであるPlaxo(プラクソ)を立ち上げます。
まだ、ソーシャルネットワークが一般的でなかった時代に始まったこのサービスは、2000万人のユーザーを獲得するほど人気を博し、のちのLinkedInやFacebookに影響を与えたと言われています。
しかし、パーカー本人は資金提供者との関係が悪化し、2年後に会社を追い出されてしまいます。
ベンチャーキャピタルのセコイア・キャピタル社は、彼を追い出すために私立探偵まで雇って、素行調査をしていたとか。
ザッカーバーグとの出会い、そしてFacebook誕生
2004年、またしても会社を失ったパーカーは、スタンフォード大学の学生だったガールフレンドの家に転がり込みます。
そこで、彼女が見ていたサイト「The facebook」に興味を持ちます。
ハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグが立ち上げた当時は、まだ一部の大学限定のサービスで、一般の人の目に触れるものではありませんでした。
これを面白いと思ったパーカーは、さっそくザッカーバーグに会いに行き、Facebookが持つ潜在能力が「本当に大きい」と確信しました。
運も味方しているのが彼のすごいところじゃな
Facebook初代CEOに就任
彼はフェイスブックの7%の株式を取得し、初代CEOとなります。
Paypal の共同創業者、ピーター・シエルから10%分の株式と引き換えに50万ドルの投資を受けることに成功。
パーカーは資金面で後押しするだけでなく、ザッカーバーグに数々のアドバイスを行い、Facebookは急成長を遂げました。
映画「ソーシャル・ネットワーク」でも描かれる
このあたりの経緯は、デビッド・フィンチャー監督の映画「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)の中で描かれています。
ジャスティン・ティンバーレイク演ずるショーン・パーカーがサイト名の「Thefacebook」について、「"The"を取れ。短い方がよりクールだ」とアドバイスする印象的なシーンが話題となりました。
しかし、ショーン自身はこの映画について「完全なフィクションだ」と言い切っています。
特に、ザッカーバーグの親友で、共同設立者だったエドゥアルド・サベリンを、パーカーが追い出したかのように描かれたシーンには憤慨しています。
しかし、映画としてはやっぱり名作じゃぞ!
かつての敵に意趣返し
急成長を遂げるFacebookにはたくさんの投資の話が舞い込みます。
その中には、かつてパーカーをPlaxo(プラクソ)から追い出したセコイア・キャピタルもいました。
セコイアから「投資してもいいからプレゼンに来て」と呼ばれたザッカーバーグ。
…なぜか寝間着姿で遅刻して現れました。
そして「われわれに投資なんかするな」と言い放ちます。
当然、セコイアは激怒して投資の話はお流れに。
これはパーカーの意趣返しだったと言われています。
しかし、初期段階でベンチャーキャピタルに頼りすぎると、経営権を奪われてしまうという苦い経験を味わっていますから、ここは正しい判断だったのかもしれません。
Facebookも追い出される
Facebookは順調にユーザーを増やし、収益化もされていきました。
しかし、派手で自由な生活スタイルは「マネジメントするものに相応しくない」と批判されます。
パーカーは2005年、コカイン所持容疑によって逮捕されてしまいます。
この件は証拠不十分で起訴されなかったものの、最大の出資者だったアクセル・パートナーズ社のジム・ブライヤーによって、パーカーはFacebookを追い出されてしまいます。
鋭いビジネス感覚を持ちつつも、素行不良が仇となって、いつも出資者に嫌われてしまうのでした。
その後も快進撃を続けるパーカー
有望な企業に次々と投資
Facebookを後にしたパーカーは、2006年、「Paypal マフィアのドン」こと、ピーター・ティール率いるベンチャーキャピタルファンド「ファウンダーズ・ファンド」に参加します。
2010年に音楽ストリーミングサービスSpotifyに1,500万ドルを出資。
翌年にはSportifyとFacebookの提携を発表し、2013年にはアプリ会社Will Callにも200万ドル以上を投資して大成功。
2016年の大統領選挙を見越して、市民の政治参加を支援するプロジェクト「Brigade」を開始しました。
2020年のジョー・バイデン対ドナルド・トランプの選挙戦の異様な盛り上がりを見ても、やはりパーカーには先見の明があったことが証明されています。
慈善家としての顔
私生活では重度のアレルギーに悩んでおり、ピーナツ、アボカド、甲殻類など食べられないものがたくさんありました。
大学4年生の時には集中治療室に3週間入院し、結婚後も14回入院しているとのこと。
そのため、2014年、アレルギーの原因解明と治療法の開発を目的とした「ショーン・N. パーカーアレルギー研究センター」の設立のため、2400万ドルの寄付を表明しました。
他にも、ライフサイエンス、公衆衛生、市民の政治参加をテーマにしたパーカー財団の立ち上げに6億ドル、パーカー癌免疫療法研究所の設立に2億5000万ドルなど、多額の寄付を行っています。
さいごに
IT投資家として大成功をおさめたショーン・パーカーですが、単に儲かりそうなネタを追い続けていたわけではありません。
P2Pサービスやソーシャルネットワーク、市民参加型の政治プラットフォームなど、彼が手がけたのはいずれも人と人とのつながりを形にしたサービスです。
仲間とつながりたい、人から評価されたいといった人間心理を巧み利用したサービスを生み出し、今のSNS文化を作ったひとりと言えます。
ネットの世界では日々新しい技術、新しいサービスが生まれています。
しかし、その大部分は日の目を見ることなく、消えてゆきます。
彼のような技術の本質を見抜き、巨額の資金を調達できる投資家がいてこそ、ネット社会は進化し続けるのです。
巨大IT企業の成功の裏では、こういう札束での殴りあいが繰り広げられているのじゃな