表計算ソフトLotus 1-2-3(ロータス1-2-3)
数学が苦手なわたしでも Excel があれば簡単でホントありがたいです〜
ちなみに、Lotus 1-2-3って知っておるか?
それが、Lotus 1-2-3じゃ!
では今日はこれについて深堀りしていこかの!
さまよえる若き日のミッチー・ケイパー
表計算ソフト「Lotus 1-2-3」を開発したミッシェル・ディビッド・ケイパーことミッチー・ケイパーは、1950年にニューヨーク州ブルックリンに生まれました。
ロングアイランドのフリーポートの公立高校を卒業後、1967年イエール大学に入学し、心理学、言語学、コンピュータ科学を学び、1971年には学士を取得します。
在学中にはラジオのディスクジョッキーやディレクターに挑戦する一方、超越瞑想に惹かれていきました。
大学卒業後はコネチカット州ハートフォードにてディスクジョッキーをしますが、しばらくすると、今度は超越瞑想のインストラクターになります。
その後超越瞑想から離れ、一般社会へと普及し始めたパソコンのコンサルティングを請け負います。
1978年にはビーコンカレッジで心理学の修士号を取得し、マサチューセッツ工科大学のスローン経営大学院で学んだりします。
そしてこの頃、AppleⅡを購入し夢中になっていきました。
アメリカのセレブにも結構のめりこんでいる人多いらしいぞ
ケイパーさんは、精神的な世界とか好きだったんですね
コンピュータのコンサルタントも始めていたケイパーは、マサチューセッツ工科大学の大学院生から依頼を受け、「Tiny Troll」を開発しました。
「Tiny Troll」は線グラフを表示したり、統計関数が使える機能がありました。
ボブ・フランクストンとの出会い
「Tiny Troll」を開発したケイパーはマサチューセッツ工科大学内でちょっとした話題となり、パーソナルコンピュータ向けの初の表計算ソフト「VisiCalc」を開発したボブ・フランクストンに声を掛けられ、VisiCalcに関するソフトウェアの開発に取り組みます。
フランクストンの「VisiCalc」は、大型コンピュータではすでにあった表計算ソフトをAppleⅡ向けに開発し、1979年販売。
ゲーム用と思われていたAppleⅡが、ビジネスにも使えることがわかると、AppleⅡの売上とともに「VisiCalc」も6年間で70万本を売り上げました。
このことはIBMがパーソナルコンピュータ(パソコン)製作に着手するキッカケにもなるのでした。
VisiPlotとVisiTrend
1981年ソフトウェア会社「VisiCorp」(旧Personal Software)から、ケイパーは「VisiPlot」と「VisiTrend」を開発し販売しました。
「VisiPlot」は「VisiCalc」が出したチャートをビジュアル化して表し、「VisiTrend」は統計分析するソフトウェアです。
当時のパーソナルコンピュータのメモリーの容量では「VisiCalc」で一旦データを出した後に、「VisiPlot」や「VisiTrend」を起動してデータを読み込み処理するようなソフトウェア間の連動が必要でした。
ケイパーは、この二つのソフトウェアをあっさりとVisiCorp社に権利売却し、170万ドルの利益を得ました。
Lotus 1-2-3の開発
ケイパーは売却したお金をもとに、マサチューセッツ工科大学卒のジョナサン・ザックスとロータスデベロップメントを1982年設立しました。
VisiPlot と VisiTrend の開発の経験を生かし、ザックスとともに表計算ソフトの開発を始めたのでした。
ケイパーはどのようなソフトウェアにするか設計し、ザックスは処理速度を早くするためアセンブリ言語でコードを書き、IBM-PC用に開発していきました。
こうして完成した「Lotus 1-2-3」は、表計算機能、グラフ機能、データベース機能、3つの機能を備えたことから名づけられました。
セルにデータを入れ、「SUM」や「AVERAGE」などの関数で計算ができ、文字入力も可能でした。
既にある「VisiCalc」やマイクロソフト社の「Multiplan」よりも優位に立つため、256KBになりましたが、高速な再計算を可能とし、グラフィックも向上しました。
また「VisiCalc」にはなかったマクロやアドインの拡張性もあり、応用範囲が広がり利便性が増しました。
AppleⅡは最大でもメモリー64KBしかなかったが、IBM-PCでは256KBもあって、「VisiCalc」のようにメモリーのために別に2つのソフトウェアを作る必要もなかったのじゃ
Lotus 1-2-3を巡る争い
マイクロソフトは、IBM-PCのオペレーティングシステムと似た「MS-DOS」を1981年に販売し、IBM-PC以外のパソコンに移植していきました。
これによりIBM-PC以外のパソコンにも「Lotus 1-2-3」が対応できるようになり、ユーザーはますます増えていき、それに対応したパーソナルコンピュータの売上も伸びていきます。
パーソナルコンピュータのシェア争いは、「Lotus 1-2-3」がキーとなっていたのでした。
マイクロソフトのExcel現る
マイクロソフトは、アップルコンピュータが1984年に販売した「Macintosh」に対応した表計算ソフト「Excel」を開発して1985年に販売。
1987年には「MS-DOS」に対応した「Excel」の販売も始めました。
1990年代になると、マイクロソフトは「Word」や「Excel」を格安でアップグレードできるようにし、ユーザーを取り込んでいく戦略に打って出て「Lotus 1-2-3」を脅かします。
ロータスデベロップメントもMacintoshに合わせた「Lotus 1-2-3」も販売しますが、評価が乏しく、WindowsのGUIアプリケーションへの対応が遅れ、「Excel」との差が広がっていきました。
そして1995年、ロータスデベロップメントがIBMに買収された年、マイクロソフトは「Windows95」を販売し、表計算ソフトの定番は「Excel」となったのでした。
ケイパーは、1986年にロータスデベロップメントを既に退社していて、新たな活動を始めていました。
当時、表計算ソフトはLotus 1-2-3、文章作成は一太郎の時代だった。
黒い画面とブルーリボン
ロータスデベロップメントを去ったケイパーはマサチューセッツ工科大学の客員教授を務めた後、会社や非営利団体を設立していきます。
- ON Technology
- 電子フロンティア財団(EFF)
- Open Source Applications Foundation(Chandler開発)
- Foxmarks(Mozilla Firefox拡張機能開発)
- ケイパー・エンタープライズ(ベンチャーキャピタル)
- ミッチェル・ケイパー財団(環境衛生慈善団体)
- Level Playing Fild(教育と職場の公正提供)
この他にもMozilla Foundaion の理事長、Linden Lab の取締役、ウィキメディア財団 の顧問も務めています。
電子フロンティア財団は1990年に起きた「スティーブジャクソンゲームズ対アメリカ合衆国シークレットサービス事件」が発端でした。
ケイパーやジョン・ベリーらによって共同創立された電子フロンティア財団は、シークレットサービスの強制捜査方法について不服を唱え、電子データも物理データと同様に重要であり、プライバシーは保護されるものであることを立証したのでした。
1996年には電気通信法がクリントン大統領によって発効されますが、インターネットについて、一部規制がかかりました。
それには書店や図書館でも見ることができるものがあったため、大きな反発が起こりました。
ケイパーは抵抗の印としてブルーリボンを提案し、電子フロンティア財団と米国市民自由連合は、ブルーリボンを付けたり、パソコンの黒い画面にブルーリボンを表示したりして、反対の意を表します。
この抗議に、フィラデルフィアの連邦地裁は運用の一部を差し止める仮処分を決定し、騒動はおさまりました。
現在、ケイパーはソフトウェアのシェア争いから下りましたが、インターネットが安全に自由に使え、発展できるように業界を見守っています。
また新興企業に投資もして、新しい技術の発展の後押しもしているんじゃ
まあミツオカはずっとそのままじゃがな
進歩がないってことですか?
いやいや、いつも精一杯がんばっているということじゃな…