個人でも気軽にネットで物を売買できる時代
フリマには出されない貴重なお宝が出品されたりとかも!
いかにして世界最大級のオークションサイトを作ったのか解説するかのう
最初のオークションサイトeBay
eBayはアメリカのカリフォルニア州サンノゼに本社を置く世界最大のインターネット・オークションサイトです。
ピエール・オミダイアが1995年に開設したサイトですが、当初は個人の趣味で始めたものでした。
ドットコム・バブルもあって急成長を遂げ、現在では、世界中に1.6億人の登録ユーザーと2,500万人のセラー(販売者)がいます。
Amazon.comがオンライン書店としてのサービスを開始したのも1995年7月ですのでほぼ同時期です。
しかし、Amazonがあくまで「書店」であり在庫を持つのに対し、eBayは個人に取引の場を提供するサービスなので在庫リスクがありません。
そのため、eBayは少ない人員で運営でき、早期に黒字化したサービスです。
eBayの成功によりオミダイアは億万長者となりましたが、それまで何があったか見ていきましょう!
イラン系エンジニアピエール・オミダイア
ピエール・オミダイアは1967年、イラン系の両親のもとにフランスのパリで生まれました。
父親は医学教育を受けた外科医で、母親はソルボンヌ大学で言語学の博士号を取得したインテリ一家です。
二人とも高等教育を受けるためにイランからフランスに渡りましたが、オミダイアが6歳の時にアメリカのメリーランド州ボルチモアに移住します。
子供のころからコンピュータに親しみ、学校の図書館の索引カードを印刷するプログラムを書くため、時給6ドルでアルバイトをしていたといいます。
アップルの子会社クラリスへ就職
オミダイアは、マサチューセッツ州のタフツ大学コンピュータ科学科へ進み、1988年に卒業。
この頃、ハワイから生化学の学位をとるためにやってきたパメラ・ウェズレイと出会います。
2人は連れ立って西海岸のサンフランシスコへ移りました。
バークレーで学んだあと、アップルの子会社である「クラリス」で働き始めました。
FileMakerシリーズで有名な会社ですが、当時はグラフィックソフト MacDrawのアップグレードなどを担当していました。
eコマースの会社を設立
1991年、オミダイアは友人3人と共同で、eコマース(電子商取引)を専門とする「インク・デベロップメント社」を設立しました。
この頃はティム・バーナーズ=リーが、世界初のWebサイトを公開したばかり。
初のブラウザ「Mosaic」の登場が1993年です。
まだインターネットが一般化する前ですが、この頃からオミダイアはeコマースの世界に足を踏み入れています。
インク・デベロップメント社は成功し、のちにマイクロソフトに買収されています。
ちなみに、最初のeコマースっていつ頃始まったんですか?○
最初は金融取引じゃった
しかし爆発的に普及したのはインターネットが広まった1990年代後半じゃな!
趣味でネットオークションのサイトを立ち上げる
インク・デベロップメント社をマイクロソフトに売った後、オミダイアはクラリスからゼネラル・マジック社に移籍します。
ゼネラル・マジックはクラリスと同様、アップルの子会社で、携帯情報端末の開発を行っていました。
この頃になると、次第にインターネットが普及してきました。
1995年、オミダイアはeコマースが盛り上がってくると予想し、長期休暇を利用し、ネットを利用したオークションサイトのプログラムコードを書きました。
「Auction Web」と名付けたそのサイトは、あくまで趣味として始めたものなので、特に宣伝もしていませんでした。
しかし、WEBサイトもまだ少なかった時代なので、何か新しいものを探しているネットユーザーたちに発見されました。
ネットを通じたオークションという物珍しさから注目を集め、徐々にユーザーから商品が出品されるようになっていきます。
出品者が商品を登録し、買いたい人が落札するという、CtoCの取引サービスです。
最初に売れたのは壊れたレーザーポインタ
Auction Webで最初に売れたものは「壊れたレーザーポインタ」です。
落札価格は14.83ドル。
なぜ、そんなものを買ったんだろうと疑問に思ったオミダイアは、落札者に連絡をとり、購入した理由を聞きました。
帰ってきた答えは、
「私は、壊れたレーザーポインターをコレクションしているんだ」
というものでした。
世の中には思いもよらないものを欲しがる人がいる。
そう思ったオミダイアは、本格的にオークション・サイトの運営を始めます。
それはなかなか粋な計らいですね!
レーザーポインターも嘘に感じてきちゃう~
趣味から仕事へ
サイトの人気は一気に沸騰しました。
当初は月30ドルでサーバーを借りて運営していました。
あくまで趣味だったので手数料は無料でしたが、人気が加速していくに従い、トラフィックが増大して、サーバー費は250ドルまでハネ上がります。
やむをえず有料化しましたが、出品料は10セント、売れた場合は売上の1%という良心価格でした。
それでも最初の月から1000ドルの売上がありました。
収益はすぐにゼネラル・マジックでの給料を上回り、9 か月後、オミダイアは新しい事業に全力を注ぐことにしました。
法人化しeBay.comに
当初は一人で運営していましたが、1996年5月には法人化し、大手新聞社ナイトリッダーのeコマース部門で働いていた「ジェフリー・スコール」を社長として雇います。
ドメイン名も「eBay」へと変えました。
これは彼のコンサルティングファーム「Echo Bay Technology Group」に由来します。
本当は「echobay.com」にしようとしましたが、すでに他社が登録していたため、縮めて「eBay.com」としました。
1997年には会社名も「eBay」にしています。
初期のヒット商品「Beanie Babies」
eBayが立ち上がったころ、アメリカでは「Beanie Babies(ビーニー・ベイビーズ)」というぬいぐるみが大ヒットしていました。
おもちゃ会社のタイ・ワーナーから発売されていた5ドルほどで買えるぬいぐるみですが、種類が多く、期間限定商品が多かったことからコレクションアイテムとして人気を博していました。
人気は過熱し、1997年にマクドナルドが「ハッピーミール」の販促にミニチュア版ビーニーの景品を付けたところ1人で100個注文する人が現れたり、倉庫から盗まれる事態まで発生しました。
入手困難なぬいぐるみを手に入れる方法として注目されたのがeBayです。
誰でも出品でき、誰でも落札できるこのサービスはまさにうってつけでした。
eBayに出品される商品の1割をビーニー・ベイビーズが占め、レアものには5000ドルの値段が付きました。
社会現象とも呼べるビーニー・ベイビーズの人気に乗ってeBayも知名度を上げていきました。
これが1995年のことで、翌年の1996年にはNINTENDO64が大ブームでeBayでも、本体やソフト、コントローラーなどが多数出品されたんじゃ
eBayの躍進
時代に先駆けて始まったオークションサイトeBay。
その運営は試行錯誤の連続で、料金体系の設定も何度もやり直しました。
他にもサイトを活性化させるために様々な試みを行っています。
ユーザー同士、取引についてフィードバックを返せるようにしたり、メッセージボードを設置してコミュニティを作り出したり、工夫を重ねていきます。
そのかいあって、eBayはユーザーの滞在時間が長いのが特徴でした。
Amazonが平均13分に対し、eBayは1時間45分といわれていました。
ビーニー・ベイビーズの販売元のタイ・ワーナー社も独自のECサイトを開設していましたが、使い勝手が悪く、ユーザーはeBayに集中しました。
ユーザーからのフィードバックを活かし、eBayは欲しいものが簡単に見つけらえて手軽に入手できるサイトとして成長していきます。
資金調達と新社長就任
1996年には年間25万件だった取引が97年の1月には月間200万取引にまで膨れ上がります。
97年半ばには1日80万件と増えていき、業務も煩雑化していきます。
サイトが巨大化し、趣味の域をとっくに超えていたので、やはり経営のプロが必要になります。
eBayの成功を見て「オンセール」や「オークション・ユニバース」といった競合サイトも現れてきました。
オミダイアは1997年、ベンチャーキャピタルの「ベンチマークキャピタル社」に支援を仰ぎ、6.7億ドルの資金調達を行います。
経営的なアドバイスをもらい、1998年3月に「メグ・ホイットマン」がeBayの代表取締役兼社長に就任しました。
eBay上場
メグ・ホイットマンはハーバードビジネススクールでMBAを取得し、P&G、ウォルト・ディズニー社、おもちゃ会社のハスブローなどを渡り歩いた有能なビジネスパーソンでした。
ホイットマンはまず、1998年9月24日にeBayを上場させます。
上場初日に株価は18ドルから47ドルに上昇。
その後株価は25倍にも膨れ上がり、eBayの市場価値は4兆円以上にもなります。
オミダイアはその30%を持っていましたので、一気に1兆円以上の資産を手にします。
大胆な経営改革
eBayは個人間取引のサイトとしてスタートしました。
しかし、登録ユーザーのうち、20%の売り手が収益の80%を生み出し、その売り手の多くを小規模小売業者が担うという構造でした。
eBayの平均競売単価は47ドルと少額です。
ライバル企業も次々と参入してきたので、eBayは手数料の値上げもできません。
とるべき手段はふたつ。
取引量の増加か高額商品を手掛けることです。
ホイットマンは、まずサンフランシスコで134年の歴史を誇るオークション・ハウスの「B&B(バターフィールド&バターフィールド)」を2億6000万ドルで買収します。
B&Bの平均競売単価は1400ドルです。
次に自動車の競売をする「クルーズ・インターナショナル」を買収。
高額商品である自動車もeBayで取引されるようになりました。
他にも、大胆な経費削減を行い、サーバーの管理をアウトソーシングに出すなど、会社の規模は小さくとも多くの取引をさばける仕組みを作っています。
また、AK47などの銃器、ポルノ、ドラッグなども出品されていましたが、これらをeBay本体から切り離します。
世界的規模へ
2000年のeBayの登録ユーザー数は1200万人。
1日あたり450万点以上の商品が販売され、世界最大のeコマースサイトとなりました。
ホイットマンが就任した1998年3月には従業員数30人、年間売上は470万ドルでした。
2008年の退任時には、従業員数1万5,000人以上、年間売上77億ドルに成長し、「成長が最も早い企業」と言われるまでになりました。
ホイットマンはeBay退職後、政界に進出しています。
ほかには?
日本への進出
現在もeBayはオークションサイトとしての規模は世界一ですが、日本ではそれほどの存在感は感じられません。
アメリカ国内で発展したeBayは、1998年にはイギリスとドイツに進出。
日本は4番目で、2000年に進出しています。
意外に早くから日本に市場に乗り込んで来ていますが、そのとき何があったのでしょう。
立ちはだかるヤフージャパン
1999年10月に日本法人イーベイ・ジャパンが設立されます。
NECと組んで2000年にサイトを開設しますが、すでに日本市場は「Yahoo!オークション」が席巻していました。
eBayの進出は「Yahoo!オークション」の開設から5か月遅れでしたが、この5か月が致命的な差を生みます。
すでに多くの会員を有していたヤフージャパンは無料制でオークション会員を増やしていましたが、イーベイ・ジャパンは本国と同じ有料制に固執しました。
そのため、一向にヤフオクには追いつけないばかりか、2番手、3番手のビッダーズや楽天オークションにもかないませんでした。
本国での成功体験が仇となった形です。
2001年に無料制に移行するも、時すでに遅く、結局2002年に撤退してしまいます。
ユーザーを先に囲い込まれてしまっては打つ手がない
「ネットワークの価値は接続数の二乗に比例する」という、イーサネットの発明者ロバート・メトカーフによる「メトカーフの法則」で考えれば、その価値の差は900倍となり、とても勝負にならん
高まるアメリカからの需要
日本市場で成功することは出来なかったものの、アメリカからの日本商品の需要は高かったといいます。
中古品でも新品のようにきれいなものが出品され「日本製品なら買いたい」というユーザーの声が多く聞かれました。
釣具やカメラ、楽器などが人気でした。
日本のアニメやゲームも世界的に人気となり、特にNetflixなどの動画配信サイトが普及すると、日本とほとんどタイムラグなしで人気作が視聴されるようになります。
日本でしか買えないグッズがeBayを通してアメリカをはじめ各国に流通するようになりました。
越境ECサイトとしての日本の商品を世界に販売
このようにeBayは日本国内でのEC事業からは撤退しましたが、「越境ECサイト」として存在感を放っています。
オークションサイトというよりは「マーケットプレイス」として、日本の商品を世界に販売する窓口として機能するようになりました。
2008年頃よりイーベイ・ジャパンが越境ECサイト支援に本格的に乗り出し、京都市をはじめ各地の産品をeBayで紹介する活動などに力を入れています。
最近では、個人の日本人ユーザーが、海外の人気動向をにらみながら商品を出品して収益を上げています。
その背景には副業を許可・推奨する会社が増えてきたことなどもあります。
また、トレンドの移り変わりが早くなるなか、柔軟に動ける個人セラーが強いという面もあります。
2021年には、eBayを通じた日本からの販売額は、前年比40%以上伸び、世界一の成長率となりました。
慈善家ピエール・オミダイア
創業からわずか3年の1998年の上場で、オミダイアは1兆2000億円もの資産を手に入れました。
苦労して手に入れたというより、降ってわいたような大金のため、その使い道に困りました。
これを良い目的のために有効に使わなければならないと考え、妻とともに財団を設立します。
イーベイがもたらした社会的な影響力をヒントに、企業やビジネスの力を取り入れた活動をするため「オミダイア・ネットワーク」という会社を立ち上げ、様々な活動をしています。
特にジャーナリズムに関心が強く、2010年にはホノルルの公共活動に関するニュースサイト「ホノルル・シビル・ビート」を設立。
ナイジェリアでの汚職や人権侵害の報道に特化した「サハラ・リポーターズ」や、中東・北米の若者の声を発信する「ミッドイースト・ユース」などもオミダイア・ネットワークを通じて支援しています。
また、創業当初の社長、ジェフリー・スコールもオミダイア同様、大富豪となり慈善家となっています。
こちらは映画に関心が強く、「パーティシパント・プロダクションズ」という映画スタジオを設立し、『不都合な真実』『シリアナ』といった社会性の強い作品を製作。
2016年の米アカデミー賞の作品賞を受賞した映画『スポットライト 世紀のスクープ』では、オミダイアとともに製作総指揮に名を連ねています。
2020年、オミダイアeBayの取締役を辞任しますが、その後も「名誉取締役」の称号を保持しています。
ネットビジネスは先手必勝!
ミツオカもまずは何かやってみることじゃ
まずは、このしゃべる猫じじいをメルカリで売っても元手を・・・
メルカリでは生き物の販売は禁止じゃ!
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