Googleの創業者は誰?
Googleの創業者は「ラリー・ペイジ」
世界を席巻する4大企業GAFA。
Appleの創業者、スティーブ・ジョブズ。
Facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグ。
Amazonの創業者、ジェフ・ベゾス。
Googleの創業者は・・・この方です!
引用:Wikipedia
顔も名前も、パッと思いつかなかった人は多かったかもしれません。
そんな、Googleの創業者は「ラリー・ペイジ」という人物です。
正確には、「セルゲイ・ブリン」との共同で創業しました。
現在、ラリー・ペイジは公の場から姿を消し、カリブ海の島で多くの時間を過ごしているという報道もあります。
今回は、そんな謎多きGoogleの共同創業者の1人である「ラリー・ペイジ」の生い立ちと共同経営者である「セルゲイ・ブリン」についてもご紹介していきたいと思います!
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コンピューターの才能を受け継ぐ
本名は、ローレンス・エドワード・“ラリー”・ペイジ。
ラリー・ペイジは、1973年3月26日アメリカ・ミシガン州で生まれました。
ラリー・ペイジの父親は、ミシガン大学で人工知能の教授で、母はデータベースのコンサルティングとプログラミングの教師をしていました。
そのため、自宅にはコンピューターとテック系の雑誌で溢れていたといいます。
そんな環境で育ったラリー・ペイジは、まさにITの申し子でした。
初めてパソコンを触ったのは、なんと5歳。
そして、6歳の時にはお気に入りの絵本をプログラミングして遊んでいたというから驚きです。
小学校に上がった時には、夏休みの宿題をパソコンで処理し、当時はハイテクだったプリンターでプリントして提出するなど、教員達を驚かせていました。
「商売」の大事さを知る
ニコラ・テスラ
引用:Wikipedia
ある時、ラリー・ペイジはとある事で涙しました。
ニコラ・テスラの本を読んで感銘を受けたのです。
ニコラ・テスラは、エジソンが活躍していた時代に、エジソン以上の天才と囁かれた発明家でした。
しかし、ニコラ・テスラには、商売の才能がなく、晩年借金による悔しさを抱えながら孤独に息を引き取った人物です。
この本を読んでラリー・ペイジは、素晴らしいアイデアを持っていても商売の知識がないと意味がないということに気がつきます。
その時、ラリー・ペイジは、わずか12歳でした。
セルゲイ・ブリン
引用:Wikipedia
ラリー・ペイジは、才能を伸ばし続けました。
その後、ミシガン大学へと進学し、博士号取得のためにスタンフォード大学に入学しました。
そして、同じスタンフォード大学計算機科学に在籍していたセルゲイ・ブリンと運命的な出会いを果たすことになります。
2人の共通点
2人はともに、スタンフォード大学の博士課程で、計算機関連について学ぶ学生でした。
ただ、奇妙なことに、その2人の生い立ちを遡るといくつかの共通点があることが分かりました。
両親
第一に、ラリーとセルゲイはともに両親が数学者や研究員。
幼い頃より多くの専門書などに触れる機会が多く、自然にプログラミングに親しむことができる環境にあったことがあげられます。
モンテッソーリ教育
また、第二として、2人ともモンテッソーリ教育を受けています。
モンテッソーリ教育は、著名人が受けた教育法として一時話題になりましたね。
ちなみに、この教育法は欧米では子供の情操教育法として広く知られ、アマゾン創業者ジェフ・ベゾスや将棋の藤井聡太棋士も受けていたと言われています。
大学での研究を活かし、起業!
当時、ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、大学でこんなの研究していました。
- ウェブのリンク構造
- 人間とコンピュータの相互作用
- 検索エンジン
- 情報アクセスインタフェースの拡張性
- 個人的なデータのデータマイニング手法
2人は、その知識を生かし、ラリー・ペイジ25才の時に、セルゲイ・ブリンと共にGoogleを創立することになります。
グーグルの始まり
グーグルの始まりは1998年。
在籍したスタンフォード大学があるカリフォルニア州・シリコンバレー・メンローパークに位置する友人のガレージが拠点となりました。
規模は小さく、資本金は家族や友人から集めたわずかなものでした。
しかし、ラリーとセルゲイが開発したシステムには、他企業にない画期的な検索エンジン・アルゴリズムとなる「Pagerank(ページランク)」があったのです。
ページランクとは?
「ページランク」とは、簡単に言えば他サイトから集まるリンク数によりWebサイトの重要性・信頼性をランク付けしていくシステム(アルゴリズム)です。
システム用語としては「参照重要度」とも呼ばれ、グーグルの商標となっています。
また、このアルゴリズムを使用したシステムには当初、正式名称はありませんでした。
会社設立に際し、「Googol(グーゴル)」という数の単位(1グーゴル:10の100乗)にちなんで、社名とともにグーグルと名付けられました。
世界の情報を体系化し、誰でもアクセスして使えるようにする
ちなみに社名であるGoogleは、10の100乗の単位である「Googol」という単語だったのですが、スペルミスで「Google」になったというのは有名な話です。
Googleという社名には、「世界の情報を体系化し、誰でもアクセスして使えるようにする」という2人の使命感のようなものを感じさせます。
ちなみに、グーグルは、今現在も情報を蓄積することをひたすらに続けています。
googleが検索エンジンの覇者になるまで
シリコンバレーの小さな存在であったグーグルが、なぜ巨大企業へと成り得たのでしょうか?
そこにはスタートアップ企業として、他社には無い極上の技術「ページランク」があったこと。
そして、それを正当に評価し、その技術に対し、支援を惜しまい出資者がいたことがあげられます。
スタートアップ
今では日本でも、IT業界を中心に使われるようになった「スタートアップ企業」または「スタートアップ」という言葉。
もともとは、シリコンバレー界隈で用いられていた言葉です。
これから拡大を目指すITベンチャー企業に、出資者が段階を踏んで資金を出資するものでした。
スタートアップ側にキラリと光る何かや、画期的技術がない限り、次の段階や出資には至らないという仕組みです。
グーグルはこの仕組みを利用し、創業当初、サン・マイクロシステムズ創業者からの10万ドル。
次には、アマゾン創業者ジェフ・ベゾス。
そして、その他にも多くのベンチャーキャピタルから巨額の出資を受けて、どんどん成長していったのです。
たった2年で検索エンジンの覇者となる
この当時、ネット上には、様々な企業の検索エンジンが切磋琢磨している時代でした。
その時代の検索エンジンは、今ではほとんど残っていません。
それはなぜでしょうか?
Googleが認知度を広めるための戦略が「アフィリエイト」でした。
アフィリエイトとは、サイトに広告を貼ってもらい、そこにアクセスがあると広告主にお金が振り込まれるという仕組みです。
この仕組みがハマり、わずか創立2年で世界一の検索エンジンとなったのです。
それが、2000年の出来事でした。
エリック・シュミット
引用:Wikipedia
Googleは順調に大きくなっていました。
しかし、翌年、多額の出資金を得る過程で問題が発生します。
出資をする多数の企業から「CEOが若すぎるのではないか?」という疑念が生まれたからです。
当時、28歳のラリー・ペイジは、IT成功者の中で最年少でした。
そのため、出資するにあたり条件が2つ出されてしまいます。
- ラリー・ペイジがCEOから降りること
- ラリー・ペイジの代役として経験豊富なエリック・シュミットをCEOにすること
この条件は結局、出資は受けられるもののラリー・ペイジはCEOから降りなければなりませんでした。
このことにより、経営はエリック・シュミットに任せ、CEOを降りたラリー・ペイジは新しいアイデアを考える事に集中できる環境になりました。
幸か不幸か、このことでGoogleは飛躍的な成長を遂げることになります。
画期的なサービスを発明
初めに「Gmail(ジーメール)」の導入をします。
当時のメールは容量がものすごく限られており、決して使いやすいものではありませんでした。
そこでGoogleは、メール容量の約500倍の容量をユーザーに提供し、名だたるライバル企業を全て追い抜いてしまいます。
次に、画像を読み込ませると、似た画像を探してくれる画像検索機能。
そして「もしかして〜〜では?」と候補を提案してくれるサジェスト機能。
それまで世界になかったものをどんどん排出していきました。
そして、空から地球を見渡すアプリの開発をしている「キーホール」という会社を買収します。
それが、後々「Google Earth(グーグルアース)」となります。
さらには、Googleをもっと使ってもらうためにはどうすればいいのか考えた結果、「ポケットに入れて持ち歩けばいい」という発想から「Android(アンドロイド)」を買収します。
そして、今では大人気となった「Youtube(ユーチューブ)」も買収します。
ちなみに、Youtuber(ユーチューバー)が報酬を得ることのできる仕組みは、先ほどお話ししたGoogleが開発したアフィリエイトが基になっているのです。
そして、CEO解任から約10年後。
ラリー・ペイジが38歳になった時、GoogleCEO復帰を果たします。
これは経営不振だからなどという理由ではなく、IT界を背負っていける歳に達したという出資者の共通認識があったためです。
復帰により、さらに成長
そして、2015年に入ると、事業の多角化に対応するため、複合企業となる「Alphabet(アルファベット)」が設立。
グーグルをその傘下に置くという体制がとられ、さらに巨大化していきました。
退陣
しかし、2019年12月。
グーグル創業者のラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンが、アルファベットCEOの座から同時に退くこととなり、世間をアッと言わせます。
その行動は、株価にも大きな変動が出るほどでした。
退陣の理由は、健康上など諸説がありますが、彼には、まだ叶えたい夢があるのだそうです。
彼らの見据える先に人類の進歩があるのではないか?
そう思わせてくれる偉大な人物です。
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