
Eメールの父「レイ・トムリンソン」こんなに広まると思わなかった@物語
2022.08.01
目次
Eメールの「@」を考案したレイ・トムリンソン


そういえば、ももさんは momo@xxx.xx.xx だったっけ…?



「@」のおかげでドメイン名とアカウント名がわかりやすいですよね

レイ・トムリンソンが入社したBBNはネットワーク通信開発の最先端だった

音響技術から始まったBBN
1967年、レイ・トムリンソンはBBN(BOLT Beranek and Newman)に入社します。
のちに BBN Technologies となるこの会社は、1948年に音響コンサルティング会社として始まり、国際連合ニューヨーク本部のアセンブリー・ホールの音響設計のコンサルティングなどを手掛けてきました。
BBNは1957年、マサチューセッツ工科大学リンカーン研究所より、准教授であったジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダーを副社長として招きました。
そして、1958年にコンピューターを導入し、道路や航空機の騒音についてのコンピューターモデルを開発するようにもなりました。
インターネットの元となるARPANETの開発
リックライダーは、「BBN」から1963年ARPAの情報処理技術部の部長となりコンピューターネットワークの概念を提唱しましたが、在任中には計画は実行されませんでした。
その後、彼の意志を継いだロバート・ティラーら部下たちによって研究は続けられ、1966年に国防高等研究計画局の「ARPA」から資金を受けて、大学や研究機関に呼び掛けてネットワーク通信開発のプロジェクトが本格的に立ち上がりました。
このプロジェクトに「BBN」は「ARPA」と請負契約し、開発に大きく関わるようになります。
こうして研究は進み、カルフォルニア大学なども参加したネットワーク実験を行い、無事成功しました。
こうして1969年、4つの大学を結ぶネットワーク「ARPANET(アーパネット)」が誕生しました。
「ARPANET」は世界で初めてのパケット通信コンピューターネットワークを運用したことでも有名です。
レイ・トムリンソンも入社後、「ARPANET」であらゆる開発をするようになります。





何を送ったのか覚えていない初めてのEメール

ARPANET でレイ・トムリンソンは、まず「BBN」で使用されているコンピューター「PDP-10」用のOS「TENEX」の開発に他のメンバーと共に携わりました。
次に「TENEX」を使用し、ARPANET によってファイルを転送する「CPYNET」を開発しました。
その後メッセージ送信ができるプログラム「SNDMSG」に「CPYNET」のコードを書き込み、他のコンピューターへのメッセージを送るようにしたのでした。
当時のコンピューターは大型で、一つのコンピューターを複数のユーザーで共有し、そのひとつのコンピューター内でのメッセージの送信はすでにできるようになっていました。
しかし1971年、レイ・トムリンソンは2台の異なるコンピューター間でメッセージを送信することに成功したのでした。
「@」をメールアドレスに採用
この初めてのメッセージ送信時に「@」を使ったメールアドレスを使用し、Eメールのシステムができあがりました。
「@」を使ったのは、ローカルマシンからのメッセージなのか、他のコンピューターからのメッセージなのか識別したかったからです。
また「@」は、名前では使われない記号だったため、使用するのに支障のない記号でした。
場所を表す意味のある「at」を意識して「@」にしたとも言われています。

レイ・トムリンソンは実験でどんなメッセージを送ったのか覚えていなかったのだ




インターネットの普及とともに広がったEメール

レイ・トムリンソンが開発したEメールは、利便性の良さから「ARPANET」だけではなく、他でも使いたいという声が上がり、「IBM」などもEメールシステムを作るようになりました。
1980年代になるとネットワークは「ARPANET」だけではなく、「BITNET」や「NFSNET」も始まり、異なるネットワーク間でもメールのやり取りもできるようになっていきました。


人々の生活が変化
「@」を使用したメールアドレスも多くの人に利用されるようになり、1982年「@」は、Eメールの標準規格「RFC822」に取り入れられました。
1990年代に入ると、政府や教育機関など利用範囲が狭かったインターネットも、MacやWindowsのパソコンの普及とともに、会社や個人でも利用する人が増えていき、Eメールでのメッセージのやり取りも盛んになりました。
CcやBccで一斉に多くの人に送信できるようになり、メーリングリストでは更にグループ内でのメール送信が簡単になり、「Cc」で誤って送って他の人にメールアドレスが知られるようなことも防止することができました。



今では当たり前のEメールで大したことがないように感じるが、当時は人々の生活に大きな変化をもたらしたんじゃ
インターネット殿堂入りでも、謙虚さは変わらず

このようにEメールは盛んに使用されるようになりましたが、レイ・トムリンソンは次第に多くなるEメールのスパムの量には辟易していました。
Eメールを悪用したり誤用したりする人によって、Eメールが非難されることに失望しますが、彼はすでにEメールの開発からは離れ、どうすることもできませんでした。
レイ・トムリンソンは2012年にインターネットの殿堂入りを果たしました。
インターネットの殿堂とは、インターネットソサエティ(ISOC)によりインターネットの発展と進歩に大きく貢献した人に賞を授与することです。
しかしレイ・トムリンソンは、インタビューで
あなたは、モール(モールス符号の発明者)、ベル(電話の発明者)、マルコーニ(無線通信の発明者)の後に続く人物になるだろうか
と問われ、
(進歩の)ペースは、あなた挙げた(人物が登場して)以後、ものすごく速くなっている。つまり、どの進歩も前の進歩のすぐ後に起こっており、次の進歩があまりにもすぐにやって来るため、一つ一つの進歩が目立たなくなっている。ごくわずかの人物しか人々の記憶には残らないと思う
と謙虚に答えています。
確かに現在では LINE や SNS で連絡やコミュニケーションをとるようになり、Eメールを使うことは少なくなりました。
しかしレイ・トムリンソンの名前は憶えていなくても、「@」を見るたびにEメールの存在を感じ、その流れから今のコミュニケーションツールがあることを感じるでしょう。
レイ・トムリンソンは2016年3月に74歳で亡くなりました。
偉大な発明をした偉人でありながらも、あくまでも謙虚で優しく、2人の娘に愛された人物でした。


1年で10年進む業界と言われているな!


それを改良したり新しいものをまた作ったりしないといけないからな!




どこに送るのじゃ?

スマホが使えなくて…

まだまだEメールは必要じゃな!
書いた人はこんな人

- 「好きなことを仕事にするエンジニア集団」の(株)ライトコードです!
ライトコードは、福岡、東京、大阪の3拠点で事業展開するIT企業です。
現在は、国内を代表する大手IT企業を取引先にもち、ITシステムの受託事業が中心。
いずれも直取引で、月間PV数1億を超えるWebサービスのシステム開発・運営、インフラの構築・運用に携わっています。
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