
MMORPGの先駆け「ウルティマ」を作ったリチャード・ギャリオット物語
2023.02.24
元祖RPGと言えばドラクエ?いいえ、「ウルティマ」です。




あれよりも前にそんなゲームがあったんですか?

後でオンラインゲームにもなったな


パーティー編成やワープなどのシステム、アバターという言葉も初めて作ったんじゃ


おもしろい人生を送っているから、今日はその話をしよう!
リチャード・ギャリオットのお父さんは宇宙飛行士
「ウルティマ」シリーズの作者、リチャード・ギャリオット・ド・ケイユは、イングランドのケンブリッジで、1961年に生まれました。
父親は宇宙飛行士で工学博士でもあるオーウェン・ギャリオットです。
幼い頃はアメリカのテキサス州で過ごしますが、両親の仕事の関係でイギリスとアメリカを行き来する生活が続きます。
ギャリオットは、クリアクリーク・ハイスクール入学後に、コンピューターについての勉強をするようになりました。
両親はコンピューターをもっと学んで欲しいと、1977年、ギャリオットをオクラホマ州立大学主催のコンピューターの合宿に参加させます。

ちなみに、イギリスなまりの英語を話すギャリオットは、「ブリティッシュ」とあだ名で呼ばれるようになる


これを気に入って、「ウルティマ」では「ロード・ブリティシュ」として国王の名前で使っているのだ

コンピュータークラスでゲーム作り
7週間の合宿の間、仲間とRPGゲームの話をしたり、プログラミングの授業を受けているうちに、RPGゲームに夢中になりました。
そして、作りたくなってしまいました。
合宿から帰ると週末は友人たちとRPGゲームをして楽しみ、ついに自分でゲームを作り始めます。
しかしそれだけでは物足りなくなり、とうとう高校に対してゲーム作りのためのコンピュータークラスの創設依頼を出してしまいます。
願いは叶い、コンピュータークラスが創設。
ただ、教えられる先生がいなかったので、自分たち自身で学習計画を作ることになってしまったわけですが…
高校卒業までに28本にも及ぶダンジョン探検プログラムのゲーム開発をする天才っぷりを発揮しました。



コマンドプロンプトからプログラムを書き、紙テープに出力することができたし、ミニコンピューターと接続して、プログラムを実行できたのだ


初めて販売したゲーム「アカラベース」
ギャリオットは、家でも学校でもゲームを作り続けていました。
高校を卒業してPCショップに勤め始めると、店長がギャリオットの作ったRPGゲーム「アカラベース」を評価し、自分の店で販売することを許可してくれました。
次第に「アカラベース」は巷で話題になりました。
そして、カリフォルニア・パシフィックから声が掛かり、全米での販売となったのです。
販売は好調で、1981年までに3万本を売るヒット作となり、ギャリオットのテキサス大学の学費も払っても、まだ余裕があるほどの収益がありました。
テキサス大学に入り、フェイシング部で活動するなどしてキャンパスライフをしばし楽しんだギャリオットですが、「アカラベース」に続くゲームの開発に取り組みます。
タイルグラフィックで作った「ウルティマ」
新しいゲームの開発には、頼もしい助っ人ケン・アーノルドが加わります。
そしてテレビゲームに適した AppleⅡ 用に開発することにしました。
AppleⅡは、キーボード、CPU、メモリーなどセットになっていて、初めてのオールインワンタイプのコンピューターとして1971年から個人用に広く販売されていました。
またテレビに接続することでカラー出力もできて、これがテレビゲームのファンを惹きつけるのでした。
ギャリオットとアーノルドの二人で新しいゲームの開発をスタートしますが、グラフィックを取り込むのに苦労しました。
紙に絵を描いて、それを記号で表せるように工夫して、コンピューターに入力してデータを作り、画面上できちんと表示されるか確認する作業が続きます。
このグラフィックにはアーノルドが発明したタイルグラフィックを使用しています。
タイルグラフィックは決まった大きさのピクセルのパターンを作り、これを縦横に並べて表示します。
ピクセル単位で表示されるよりも効率的に表示され、ゲームの世界を自由に行き来する楽しさが加わりました。
こうした苦労の末1981年に「ウルティマ」がついにできました。

「ウルティマ」は初めアセンブリ言語でアーノルドが書き実装も行っていたんじゃ!



ただ、ギャリオットは今までほとんど独学だったし、助かったでしょうね!

アーノルドは他にも自分自身でゲーム開発しているし、ゲーム好きであったことが幸いした形じゃのお
広がるウルティマの世界
「ウルティマ」は、不死の宝珠を持つ魔導士モンデインを倒すため、勇者が4つの大陸をまたぎ、クエストを解きながら冒険するゲームです。
異世界と導き出すストーリーと向上したグラフィックにより、「ウルティマ」はたちまち人気となり、大成功をおさめます。
更に1992年発売の「ウルティマⅡ」も成功し、ギャリオットは親や兄弟と共同で、「オリジン・システムズ」を創立します。
1983年に発売した「ウルティマⅢ」では、パーティー編成や戦闘場面の切り替え、ワープなど今のRPGゲームでも見られるシステムが加えられました。
その後も毎年のように新しいストーリーのウルティマが販売されます。
MMORPGオンラインゲームの世界へ船出
1992年、「オリジン・システムズ」はアメリカの大手ゲームメーカーであるエレクトロニック・アーツの開発部門に入り、「ウルティマ」は1997年、「オンラインウルティマ」として開発され、公開されました。
オンラインのRPGゲームはまだあまりなく、人気の「ウルティマ」がオンラインで遊べると話題となり、ユーザーも増えていき、成功をおさめます。
日本でも1998年日本サーバーでの運用でサービスを開始し、多くの人にプレイされ、影響を与えました。
MMORPGは、ネットを通じて一つの世界に多くの人が集まり、ゲームをしながらコミュニケーションしますが、本格的なMMORPGはウルティマが「初」でした。
しかし、次第に業績は悪化していき、2000年、ギャリオットはエレトロニック・アーツを解任されてしまいました。

「ウルティマIX」の日本語版ではギャリオット自身が吹き替えをしていたりするぞ

それは今となったらお宝版とも言えますね!
NcSoftでのゲーム開発
その後ギャリオットは、兄のロバートと「ウルティマオンライン」でメインプログラマーだったスタリー・ロングと新しい会社「Destination Games」を設立し再始動します。
しかし、長く続かず2001年には早くも韓国のゲーム会社「NcSoft」に買収されてしまいました。
買収後もギャリオットはNcSoftでゲーム開発を続け、2007年には「Tabula Rasa」を発表したのですが、翌年突然 NcSoft を退社。
それはギャリオットが人生の転機となる体験をしたからでした。
「冒険家」になったギャリオット
NcSoft を退社する前に民間宇宙飛行士として、ギャリオットは宇宙を旅しました。
ギャリオットは深い感銘を受け、新しいことに挑戦したくなったのです。
それからのギャリオットは世界中を旅する冒険家となり、アマゾンのジャングルに行ったり海の最深部まで潜ったりするようになりました。
また民間向けの宇宙飛行会社「スペースアドベンチャーズ」を共同設立して、民間人が宇宙へ飛行する手配をしています。
NASA諮問委員会の委員など宇宙に関する職務にもいくつかついて、リーダー的な役割を担うようにもなりました。
ギャリオットは冒険ゲーム作りに熱中した日々から、宇宙へ情熱を傾け、現実の冒険を楽しむ「今」を生きています。

ギャリオットは父のようにいつか行ってみたい気持ちがあったのかもしれんな

ウルティマのような壮大なゲームを創れたのも納得です。

よし、わしも冒険に出かけたくなってきたわい…


今作ってるアプリの作成(冒険)じゃな


ミツオカも新米エンジニアなら、その冒険は必須じゃろ!



書いた人はこんな人

- 「好きを仕事にするエンジニア集団」の(株)ライトコードです!
ライトコードは、福岡、東京、大阪の3拠点で事業展開するIT企業です。
現在は、国内を代表する大手IT企業を取引先にもち、ITシステムの受託事業が中心。
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