ゼロックスのパロアルト研究所の栄光と衰退
ゼロックスのパロアルト研究所とは?
引用:wikipedia
ゼロックスパロアルト研究所とは?
「ゼロックスパロアルト研究所(PARC)」は、複写機の大手として知られるゼロックスの研究所です。
カリフォルニア州パロアルトに拠点を置き、名門スタンフォード大学と共同研究を行うことも多くあります。
1970年の開設以来、優秀な研究者や画期的な製品を世に送り出してきました。
パロアルト研究所の主な成果
では、パロアルト研究所の主な成果には、どんなものがあるのでしょうか?
次に挙げるリストを見てください。
- マウスで操作するパソコン
- デスクトップのアイコン表示
- イーサネット
- レーザープリンター
どれも、現代のオフィスでは当たり前のものばかりですね。
実はこれ全部、ゼロックスパロアルト研究所の開発がもとになっているんです!
「アップルかマイクロソフトだと思ってた…」という方、けっこう多いかもしれませんね。
創設初期に栄華を誇ったパロアルト研究所
パロアルト研究所の初期を支えた功績者の1人に、計算機科学研究室の責任者「ロバート・テイラー」がいます。
インターネットのパイオニアとして知られる彼のもと、パロアルト研究所は十数年の間、栄光の時代を築くことができました。
当時の優秀かつユニークなエンジニア達は、皆ここで、コンピューターのありとあらゆる可能性を研究していたのです。
アップルやマイクロソフトにも影響を与えた
そんなパロアルト研究所は、パソコン業界の「巨人」たちにも影響を与えました。
ご存じ、アップルの「スティーブ・ジョブズ」とマイクロソフトの「ビル・ゲイツ」です。
この2人は共に1979年、パロアルト研究所を見学に訪れたことがあります。
ジョブズもゲイツも、当時のトップエンジニアを抱えるパロアルト研究所に大いに感銘を受けることになります。
金の卵を逃したゼロックス
引用:wikipedia
世界で最初のパソコンを開発
ゼロックスが世界初のパソコン「ALTO」を開発したのは、1973年のこと。
「マウス操作」「WYSIWYG」という手法を採用した、画期的なものでした。
しかし、ゼロックスはこの元祖パソコンをなかなか商品化しませんでした。
※WYSIWYG:見た通りのものがそのままディスプレイに出力される手法
ゼロックスはなぜ ALTO を売り出さなかった?
ゼロックスは、なぜ ALTO の大々的な商品化に乗り出さなかったのでしょうか?
それは、ゼロックスが「複写機の大手」だったことが原因です。
大量生産した ALTO が世に出回り、オフィスにあるのが当たり前のものになれば、ゼロックスの主力商品である「複写機と用紙」の売り上げは落ち込みます。
つまり、ゼロックスは、ALTO がもたらすペーパーレスな社会は、自らの首を絞めることになると考えていたのです。
ついに日の目を見なかった ALTO
1970年代当時、「目玉商品」としてゼロックスがオフィス市場に売り込んだのは、ALTO ではなく、電子タイプライターでした。
結局、生産された ALTO は約2000台とごくわずか。
そもそもゼロックスは ALTO の市販など念頭にありませんでした。
その結果、ALTO の販売・寄贈先はもっぱら研究機関でした。
パロアルト研究所が製品化した研究成果
ALTO という金の卵を逃したからといって、ゼロックスに先見の明がなかったとは言い切れません。
先述したように、ゼロックスは、現代オフィスでは当たり前のテクノロジーを生み出した元祖なのです。
パロアルト研究所の研究成果で、製品化されたものをご紹介しましょう。
イーサネット
パロアルト研究所初の製品化が、「イーサネット」です。
1973年、「メトカーフの法則」で知られ、3COM の創業者でもあるロバート・メトカーフらによって発明されました。
その後「インテル」「DEC」が共同開発に加わり、1980年に公開されました。
今やLANの標準規格としてすっかりおなじみですね!
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レーザープリンター
引用:wikipedia
「レーザープリンター」は、1969年、ゲイリー・スタークウェザーが自社の複写機をもとに発明したものです。
最初に製品化されたのは、1977年のこと。
その後も、オフィスでプリンターの需要が高まるにつれて、ゼロックスは「安価で高性能」な機種を次々と発表します。
遅すぎた「スター」の発表
引用:wikipedia
ALTO の後継「ゼロックス・スター」
日の目を見なかった ALTO 誕生から8年後の1981年、ゼロックスはやっとオフィス向けワークステーションを発表します。
これこそが、「ゼロックス・スター」でした。
ALTO と同じく WYSIWYG の手法を採用したデスクトップです。
コンピューターやプログラミングに疎い事務員でも、簡単に操作ができるよう開発されました。
「最高のマシン」は欠点だらけ
「ゼロックス・スター」は、パロアルト研究所の最高傑作といっても過言ではありません。
当時、情報機器の展示会を開くと、「ゼロックス・スター」の前には必ず人だかりができるほどでした。
実務には向かない
しかし、この「最高のマシン」は実務には向きませんでした。
「大きすぎ」「遅すぎ」「値段が高すぎ」の三重苦だったからです。
おまけに、導入も気軽には出来ず、「数台のスター」と「レーザープリンター」を「イーサネット」でつながなければなりませんでした。
時代は Windows か Mac へ
Windows 誕生
「ゼロックス・スター」発表からわずか4ヶ月後、IBMが「パーソナル・コンピューター」を発表しました。
機能性は平凡でしたが、拡張性が高かったため、各メーカーは競ってこのタイプのパソコン開発に乗り出します。
結果、IBM 社製と互換性のある機種に Windows を搭載した「Windows マシン」が主流となっていきます。
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Mac 誕生
引用:wikipedia
また、1984年にはアップルが「マッキントッシュ」を発表。
「使いやすいパソコン」として、Windows マシンと住み分けをしつつ普及していきます。
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パロアルト研究所黄金時代の終焉
ゼロックス・スターが市場から姿を消したように、研究者たちもパロアルト研究所を去るようになりました。
1983年、マネージャーを務めていたロバート・テイラーが、会社側の圧力により退職を余儀なくされます。
これに伴い、研究所を支えてきたトップクラスの科学者たちも次々と退職。
研究所設立に貢献し、ALTO の開発者でもあるアラン・ケイに至っては、1984年からアップルのフェローとなります。
こうして、パロアルト研究所の黄金時代は終わりを迎えました。
オススメの本
パソコンの巨人になり損ねたゼロックス
もし、ゼロックスが ALTO を大々的に売り出していたら、今日の「Windows か Mac」という勢力図は変わっていたかもしれません。
皮肉にも、ALTO を最も評価していたのはスティーブ・ジョブズでした。
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