アリババの創業者ジャック・マーとは?
あ、最近日本でも見かける「Alipay」もそうですよね?
では、その創業者は誰か知っておるか?
ん~わかりません!!
では、今回はアリババの創業者「ジャック・マー」を紹介していこう!
失敗や挫折の連続から這い上がった男「ジャック・マー」
現在、中国トップIT企業のアリババ。
そして、アリババの創業者であり、アジア1位の大富豪であるジャック・マー。
彼が現在に至るまでには、失敗や挫折の連続があり、順調な人生とは言えませんでした。
今や大成功者として名高いジャック・マーの人生とは、どのようなものだったのでしょうか?
決してエリートとは言えなかった生い立ち
出典:Wikipedia
大成功したIT起業家には、生まれながらにして才能や環境に恵まれ、行動力にてその成功を勝ち取った人物が多くいます。
しかし、ジャック・マーが成功するまでは、むしろ落ちこぼれと言われる人物でした。
いじめを受けて育った幼少期
ジャック・マーは、1964年9月10日に中国浙江省の杭州に生まれました。
生まれつき体が小さく、美形の両親とは似ない顔立ちであったため、小学校ではいじめを受けてしまます。
しかし、少年の頃からは非常に正義感が強い子供でした。
ジャック・マーは、自身同様にいじめを受けている友人をかばって喧嘩することもありました。
時には、13針を縫う大けがを負うこともありました。
少年の頃から折れず、逃げない強い精神を持っていたといえます。
英語を独学で学ぶために無料で観光案内
13歳になり、英語に興味を持ち始めます。
英語を習得したかった彼は、独学で英語を学ぶため工夫しました。
そこで閃いたのは、朝、シャングリラホテルへ出かけ外国人に声を掛けます。
そして、無料で観光案内をおこなうことにしました。
そうすることで、観光案内でコミュニケーションをとりながら、英語の知識を身に着けていけるわけです。
オマケに、お金もかからず、ネイティブな英語が勉強できるわけですね。
この頃から、行動力はずば抜けているということが出来ます。
ちなみに、ジャック・マーの本名は馬雲(マー・ユン)といいました。
この時に親しくなった観光客の女性からあだ名としてジャックと呼ばれ、以降その名前で活動しているのです。
勉強が苦手で大学に2度落ちる
英語は非常に得意だったジャック・マー。
ですが、その他の勉強は苦手だったようで、小学校は3流といわれ、中高も成績は振るわず、そして大学受験にも2度落ちてしまいます。
受験失敗後、1度は大学への進学を諦め、3輪自動車の運転手になりました。
ですがその最中、路遥の著書である「人生」という本に出会いました。
そのことで、諦めない事の大切さに胸を打たれた彼は、再度受験に挑戦します。
その結果、得意な英語を活かして補欠合格ではありますが、杭州師範学院外国語学部の英語科へ入学します。
就職先が無い…!なら、起業する!
出典:Wikipedia
就職活動では30社に落ちる
無事に就職活動の時期を迎えたジャック・マー。
ですが、就職先が一向に決まりませんでした。
なんと、面接を受けた30社全てに落とされてしまいます。
そして、警察官が募集されていたことから応募するも、こちらも落とされてしまいます。
さらに、ケンタッキーの社員として応募した面接では、24人中23人が合格した中、ジャック・マーだけが落選しました。
このままでは、仕事先が無いジャック・マーでしたが、英語だけは得意であったため、杭州電子工学大学の講師として採用されます。
会社を立ち上げる!
その後、自身には就職が出来ないと感じたジャック・マー。
もう仕方ないということで、27歳で「海博翻訳者」を立ち上げます。
海博翻訳者では、主に中国語を英語に翻訳する業務をおこなっていました。
しかし、業績は上がらず中国各地を営業してまわる日々。
翻訳業だけでは生活が苦しかったため、各営業先に行った際にお花やギフトなどを仕入れて売る「物販業務」もおこない、ギリギリの生活でしのいでいました。
そうした中で、努力の甲斐もあり、2年後には杭州の中で1番大きい翻訳会社へ成長します。
インターネットとは世界を変えると直感
仕事が軌道に乗り始めたジャック・マーは、海外への出張へ行く機会が増えていきました。
そんなある時、出張先のアメリカで、「インターネット」と出会います。
当時、世界的にインターネットは普及しつつありましたが、情報管理をおこなっている中国では、インターネットが解禁されていませんでした。
今まで見た事のないものに驚きいたジャック・マーは、試しに自社のホームページを制作して貰うことにしました。
すると、1件、2件…
なんと、3時間で 4件 の受注がありました。
そこで、インターネットというシステムの魅力を知ります。
社員の反対を押し切ってイエローページ設立
帰国したジャック・マーは、インターネットを使ったサービスを始めようと決意を固めます。
しかし、海博翻訳者が軌道に乗り始めていたことから、当然周囲は猛反対。
ですが、インターネットに大きな将来性を感じていた彼は、周囲の反対を押し切ります。
そして、情報発信サイト「イエローページ」を立ち上げます。
1995年に立ち上げたイエローページは、中国国内の企業を2000文字以内で紹介するといったものでした。
アイディアは良かったのですが、当時中国ではインターネット人口が少なく、流行りませんでした。
そのため、人件費を抑えるために、妻と友人の3人で細々と運営をおこないます。
インターネットブーム到来!が…
イエローページの運営を始めて3か月経った頃、ジャック・マーにチャンスが訪れます。
世界的に流行し始めた SNS が上海で導入。
さらに、1年後には中国が国家単位でインターネットの導入に踏み切ったのです。
そのことで、インターネットが大ブーム。
ブーム以前からインターネットサービスを始めていたジャック・マーは、大企業や政府関係の仕事を受注する事となります。
しかし、業務が軌道に乗りかけていた矢先、ジャック・マーのサービスに目を付けた政府企業によって会社が吸収合併されてしまいます。
その時、彼は自社の株式を30パーセントしか保有していなかったため、吸収合併された会社での決定権がありませんでした。
そのため、実質的に会社を乗っ取られてしまった形になり、1996年に合併企業を抜ける事となります。
それでも諦めない!不屈の意思で「アリババ」が誕生
いじめを受けた幼少期、成績が悪く苦労した学生時代。
そして、就職が出来なかった大学時代。
そしてトドメには、起業した会社を政府企業に乗っ取られてしまいます。
ここまでは散々なジャック・マーですが、それでも彼は諦めずに何度も立ち上がります。
SNSに目をつけアリババを設立
彼は、大きなビジネスをおこなっても、大企業や国によって奪われてしまう実態を身をもって知ることになりました。
そこで、中国の大企業とは戦わない、海外や中小企業に向けたインターネット企業「アリババ」を1999年に設立します。
ハードとシステムの面で考えるとアメリカに劣るが、情報とソフトでは中国が勝っていると分析していました。
そして、アリババの社員に対し、こう言い放ちました。
「俺たちは中国のシリコンバレーになる!」
孫正義から約20億円の資金提供を受ける
アリババは赤字企業でありましたが、1999年3月にアメリカのゴールドマンサックスより、約500万ドルの資金提供を受けていました。
それでも資金は足りず、次の手を考えていた最中、ソフトバンク社長の孫正義と面談のチャンスを得ます。
そこで行われた面談にて、孫正義から2000万ドルという巨額の資金提供を受ける事に成功しました。
ちなみに、この面談ですが、孫正義がジャック・マーへの資金提供を決めるまでに掛かった時間は、たったの5分。
後に孫正義は、「彼の眼からとてつもないカリスマを感じた」とジャック・マーの事を語っています。
大逆転!ジャック・マーの快進撃
物販事業のタオバオを設立
2003年には、後に中国版Amazonと言われる「タオバオ」を設立します。
タオバオとは、オンライン上で個人間の商品取引が出来るサービスです。
日本でいうところの、「楽天」や「ヤフオク」などに似たサービスで、中国国内のみならず、海外のユーザーからも注目を集めます。
電子決済機能のアリペイを作る
さらにジャック・マーは、タオバオでの買い物を「アリペイ」という仕組みで決済出来るようにしました。
当時、中国ではネット上での商品売買に対して信用が低く、お金を払ったのに商品が届かなかったり、偽物商品が送られてくるケースが多々ありました。
しかし、アリペイの登場により、商品が届いてから中身を確認した後に決済が可能になりました。
そのため、商品が届かなかったり、偽物商品を掴まされることがなくなりました。
同時に、粗悪な業者を一層することにも成功しました。
ちなみに、「タオバオ」は現在、世界中に10億人以上ユーザーがいる大規模サービスになっています。
Yahoo!中国を買収
勢いに乗ったアリババは、Yahoo!中国を買収し、世界的に知名度を高めます。
その後も、登録している会員数も右肩上がりに増えていきました。
その結果、2006年には2000万人を突破して国内最大級のサービスとして頭角を現します。
ニューヨーク証券取引所に上場
「タオバオ」や「アリペイ」で徐々に信用を上げていったアリババ。
ついには、2014年にニューヨーク証券取引所に上場を果たします。
この時、時価総額は約25兆円に達し、トヨタ自動車を上回る史上最高額を記録しています。
そして、ジャック・マーは孫正義が資金提供をした 20億円 をその 4000倍 である 8兆円の利益にしたことでも有名です。
2019年引退を表明する
アメリカの GAFA と対抗出来る中国企業を育て上げ、大成功者となったジャック・マー。
ですが、49歳の時、アリババのCEOを撤退します。
そして、2019年には、アリババの会長職も引退してしまいます。
彼は、「昔勤めていたように、教師に戻りたい」と話していますが、あまりに急で不自然な引退です。
多くの専門家からは、国家とのトラブルや何らかの圧力があったなどと言われていますが、真相はいまだに明かされていません。
さいごに
何度叩き落されても何度も這い上がり、アジア1位の大富豪にまで上り詰めたジャック・マー。
周囲の期待をよそに、急な引退表明でしたが、どんな状況からでも彼は今まで何度も立ち上がってきました。
ジャック・マーの座右の銘である「永久不放棄」は、今後も彼を突き動かす原動力となるでしょう。
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