Paypalって使ってる?
ピーターティールってどんな人?
ピーターティールは、電子決済サービス Paypal の創業者。
優秀なアメリカの起業家でありながら、投資家という顔も持っています。
そんなピーターティールは、「Paypal マフィアのドン」とも言われ、シリコンバレーや政治界においても、非常に強い影響力を持つことでも有名。
あのドナルド・トランプ大統領とも、深い交流があるのです。
今回は、ミステリアスな一面もあるピーターティールについて、彼の歴史から人物像を紐解いていきたいと思います!
成績はオールA!?ピーターティールの生い立ち
リバタリアンで、争いを好まないピーターティール。
そんな彼の性格は、幼少期の体験から、強い影響を受けています。
転校を繰り返した幼少期
ピーターティールは、1967年10月11日に、西ドイツのフランクフルト・アム・マインで生まれます。
父クラウスは、科学技術者として働いていました。
父が、その後に鉱山の開発会社へ転職したことで、転勤を繰り返すようになります。
そのため、1歳でアメリカのオハイオ州クリーブランドへ移住するも、転勤のたびに各地を転々とする生活…
合計7度の転校を繰り返しますが、1977年に、やっとでカリフォルニア州サンマテオ郡フォスターシティに定住。
しかし、転校先の学校がルールに厳しく、少しのミスで先生から怒られる日々を経験をします。
決まりごとに疑問を持ったピータティールは、「画一性」や「規律」を毛嫌いする性格になっていきました。
チェスにのめりこんだ少年時代
数学的で論理的思考を持っていたピーターティールは、6歳でチェスを始めます。
彼はすぐに才能を発揮し、13歳未満のアメリカ人チェス選手として、7位にランクインするほどの実力をつけました。
また、勉強でも「数学」が非常に得意なピーターティール。
数学テストの成績は、カルフォルニア州1位をとるほどでした。
しかし、チェスと勉強の両方の成績にこだわるあまり、「強迫観念」に襲われてしまいます。
後に、ピーターティールは、
競争で勝つことばかり考えているのは不健全だった。良い成績を上げる代わりに影で多くの犠牲を払った。
と語っています。
超秀才でハーバードにも合格
その後は、高校に進学し、成績はオール A で卒業。
卒業式では総代を務め、出願した全ての大学から合格通知が届く超優秀ぶり。
その中には、あの有名なハーバード大学も含まれています。
ところが、競争や争いごとが嫌いなピーターティールは、ハーバード大学に進学しませんでした。
家の近くにあった、スタンフォード大学へ進学を決めたのです。
スタンフォード大学にてリードホフマンとの出会い
ピーターティールは、スタンフォード大学へ入学すると、かねてから興味のあった「哲学」を専攻します。
大学では、後の Linkedln 創業者であるリードホフマンと出会い、哲学について議論を重ねる日々。
この頃は、弁護士や法律家を目指していたため、在学中に「Bachelor of Arts」を取得。
卒業後は、スタンフォード・ロー・スクールへ進学します。
そして、1992年に法務博士号を取得したのでした。
7カ月で退職!?繰り返す転職…競争社会に嫌気
かなり秀才だったピーターティールですが、エリート故に、嫌いであった競争社会へ巻き込まれていきます…
競争嫌いから仕事を変える
ロー・スクールを卒業後、合衆国控訴裁判所の法務事務官になるも、たったの1年で辞めてしまいます。
その後は、1000万円の給料を条件に、ニューヨークにある大手法律事務所へ勤務しました。
しかし、ここもわずか7か月で退社。
退社した理由にピーターティールは、
週80時間の激務に加え、仕事に卓越した価値を見出せなかった
と、後に語っています。
法律事務所を去ったピーターティールは、欧州系投資銀行で通貨オプショントレーダーとして勤務。
しかし、お金持ち達の「不毛な争い」や「無駄なプライド」に嫌気が差し、これも3年で退職となったのでした。
ティール・キャピタル・マネジメントを設立
ピーターティールは、友人や家族から資金提供を受けて、「ティール・キャピタル・マネジメント」を設立。
ティール・キャピタル・マネジメントは、ベンチャーキャピタル等で、投資をおこなう会社です。
早速、友人の会社に1000万円を投じるも、あえなく失敗…
その友人は後に、ピーターティールに「マックスレフチン」という男を紹介しました。
その出会いが、Paypal の前身「コンフィティ」を生むキッカケとなったわけです!
友人と共にコンフィニティを設立
当時、Windows がブームとなり、インターネットビジネスで起業を考えていたピーターティール。
そんな彼は、「電子決済機能」に目を付けます。
そして、1998年にマックスレフチンと友人の3人で、コンフィニティを共同設立したのです。
ちなみにコンフィニティとは、信頼を意味する「Confidence」と、無限性を意味する「infinity」を組み合わせた造語です。
Paypalを創業!が、バトル勃発!
コンフィニティは、1999年にブランド名を正式に変更し、「Paypal」となります。
そして、たった数か月で、100万人以上のユーザーを突破するほど、急成長していったのです。
Paypalにライバルが現れる
電子決済企業では、既に敵なしの独占状態だった Paypal でしたが、そこにイーロンマスク率いる「X.com」が現れます。
X.com は、Paypal と同様に、電子決済サービスをおこなう会社でした。
銀行免許を持っていたため、希望するユーザーには、本物の銀行口座を提供していったのです。
さらに X.com は、Paypal のおこなったサービスを、ことごとくコピーしていきました。
ここから、電子決済市場の奪い合いが勃発したわけです。
X.comと合併
ピーターティールは、プラットフォーム市場で、複数の勝者はいないと知っていました。
また、「ムダな競争は誰にもメリットがない」と考えました。
そして、なんと2000年にライバルであった X.com と手を組みます。
強大なライバルが味方になり、銀行免許も取得でき、Paypal にとっても大きなメリットとなったのです。
社内分裂により退社するも戻ってくる
Paypal 社員の中には、X.com の吸収合併だと考える人も多く、社内に亀裂が生まれました。
さらにイーロンマスクとは、お互いカリスマ経営者同士であったため、意見が合わずにピーターティールは2か月で会社を去ってしまいます。
ところが!
イーロンマスクがシドニーへ家族旅行に行っている間に、社内では「イーロンマスクの不信任案」が可決!
イーロンマスクは追い出され、再びピーターティールが、Paypal へ戻ってくることとなったのです…!
PaypalをeBayに売却
2002年になると、ピーターティールは、イーコマースの大手企業「eBay」へ Paypal を15億ドルで売却。
すると、Paypal に関わった人材が、シリコンバレーを拠点に、多くの有名企業を創業するようになったのです。
「強い団結力」「高い技術」「豊富な資金」をもつ彼らを、人々は天才起業家集団「Paypalマフィア」と呼ぶようになりました。
Paypal の売却益で、55億円を手に入れたピーターティールも、その資金を元手に様々なスタートアップ企業を立ち上げていきます。
複数のベンチャーキャピタルを立ち上げ
2004年には、データ分析ソフトウェア企業の「パランティア」を設立。
このとき、外部投資家として初めて、Facebook へ50万ドルの投資をおこないました。
これにより、Facebook の株式を、10%ほど保有するようになったのです。
2012年には、大半の株式を売却していますが、ピーターティールはその後も取締役として活動しています。
複数のベンチャーキャピタルを立ち上げる
そして、ピーターティールは
- 2005年に、ファウンダーズ・ファンド。
- 2010年に、バラー・ベンチャーズ。
- 2012年に、ミスリル・キャピタル
と、様々なベンチャーキャピタルを立ち上げていきました。
この立ち上げには、PayPal の創業時のメンバーであった、「ルークノゼック・ケンハウェリー」も関わっています。
ドナルド・トランプの政権移行チームに加わる
2016年には、米国大統領であるドナルド・トランプの「政権移行チーム」へ加わり、政治にも影響力を持つようになります。
ピーターティールは、トランプ支持者として有名であり、過去には、
Google と中国政府が繋がっているため調査すべき
とトランプに助言。
トランプも、ピータティールを信頼しており、調査に乗り出すと発言しました。
ピーターティールの発言が、アメリカ大統領を動かすキッカケになったのです。
このことで彼は、「アメリカを操る影の大統領」と呼ばれるようになったわけなのです!
さいごに
ピーターティールは、アメリカの政治や経済において、非常に強い影響力を持った実業家です。
投資以外には、「宇宙開発」や「アンチエイジング」などでも、事業を展開しています。
ピーターティールの活動や動向には、今後も目が離せませんね!