JavaとJavaScriptは本当に関係ない?
JavaとJavaScriptって別物なんですよね?
まさかの便乗商法?
彼はWEBブラウザの発展に大きくかかわった人物じゃ!
ブレンダン・アイクがJavaScriptを開発した当時から、現在にいたるまでを詳しく解説しようかの~
違う会社で開発されたのに似通った名前の二つの言語
1995年に登場し、1996年に正式リリースされた汎用プログラミング言語「Java」。
開発したのは「サン・マイクロシステムズ」です。
一方、「JavaScript」も同じく1995年に登場したスクリプト言語です。
開発したのは、当時「ネットスケープ・コミュニケーションズ」に所属していたエンジニア「ブレンダン・アイク」。
彼は、JavaScriptの開発と「ブラウザ戦争」を経て、現在に至るまで一貫してブラウザ開発に携わっています。
しかし、JavaとJavaScriptが登場した当時、やはり似通った名前の二つの言語はしばしば混同され、混乱の原因となっていました。
書店でも Java と JavaScript の本を混ぜて並べられることも珍しくありません。
違う会社で開発されたはずなのに、一体、どうしてこんなことになってしまったのでしょう?
では、その経緯をブレンダン・アイクの視点から見ていきましょう!
JavaScriptの開発者ブレンダン・アイク
ブレンダン・アイクは1961年7月4日、カリフォルニア州のサニーベールで生まれました。
サンフランシスコ・ベイエリアの南部に位置し、後に「シリコンバレー」と呼ばれるようになる地域のど真ん中でした。
ゼロックスの「パロアルト研究所」で有名なパロアルトにある高校を1979年に卒業。
イリノイ大学の分校の一つ、アーバナーシャンペーン校に進学しました。
この分校には、後にネットスケープ・コミュニケーションズ社を設立する、マーク・アンドリーセンも在籍していたことがあるそうです。
ここで、1986年に修士号を取得し、さらにサンタクララ大学では数学と計算機科学の学士号を取っています。
シリコン・グラフィックスからネットスケープ・コミュニケーションズへ
大学を卒業後は、コンピュータグラフィックスのワークステーションで有名な「シリコン・グラフィックス社」に就職します。
ここでOSとネットワーク関連のエンジニアとして7年間働きます。
本人によると「退屈な日々を過ごした」とのこと。
その後、マイクロ・ユニティ社を経て、1995年4月、ネットスケープ・コミュニケーションズ社に入社します。
ブラウザ戦争前夜
ネットスケープ・コミュニケーションズ社は1994年4月に「モザイク・コミュニケーションズ」として設立された会社です。
設立者は、革新的なWEBブラウザ「Mosaic(モザイク)」を開発した「マーク・アンドリーセン」。
彼がモザイクを開発したのは「米国立スーパーコンピュータ応用研究所 (NCSA)」に所属していた1993年です。
しかしNCSAがモザイクの権利を主張したため決別し、事業家のジム・クラークの援助を得て新会社を設立しました。
Mosaicを倒せ!
そして、アンドリーセンは1994年10月、モザイクを進化させた「Netscape Navigator(NN)」をリリースします。
リリース当初の名称は「Mozilla(モジラ)」です。
この名称、「Mosaic Killer」という意味と、ゴジラの英語名表記「Godzilla」に由来するそうです。
シェアウェアとして配布を始めたNetscape Navigatorは世界中で爆発的に普及し、Mosaicを駆逐します。
一般にも広まり、いよいよ本格的なインターネット時代の幕が開けます。
意外と物騒ですね!
それから、ゴルフ場に巨大ワニが出現したら「Golfzilla、現る」なんて報道されたりな
猛吹雪になると「Snowzilla、襲来」とか言われたりしとるんじゃ
JavaScriptの誕生と命名の経緯
そして歴史に名高い「ブラウザ戦争」が始まる直前の1995年4月、ブレンダン・アイクはネットスケープ社に入社します。
この当時、Javaを持つサン社とネットスケープ社は提携関係にありました。
Javaはもともと電化製品への組込みシステム用の言語として「Oak」という名前で、1990年から開発が続けられてきた言語です。
1994年に「ジェームズ・ゴスリン」らは「Mosaic」に触発され、ブラウザ開発にOak言語を使おうと考えました。
「WebRunner」という独自のブラウザを作り、Oakによる小さなアクティブプログラムが埋め込まれたウェブページにアクセスすると、動的ページの表示が実現しました。
1994年秋にはOakを「Java」に、WebRunnerを「HotJava」に改称し、大々的に売り出す準備に入ります。
Javaの特徴は環境を選ばず動作することです。
これで様々な環境で動的なページが作れるようになると、Javaは業界の注目を集めました。
ブレンダン・アイク、納得せず
ネットスケープ社もこの流れに同調し、サン社と提携してNNにJavaを実装する方向で動き出します。
しかし、この動きに疑問を投げかけたのがブレンダン・アイクです。
確かにJavaは素晴らしい技術ですが、習得するのはかなり大変です。
サーバーサイドで動くシステムなので、WEBデザイナーが気楽に触れるものではありません。
彼は「JavaだけがWEBページの役割を押し広げる最適解ではない」と感じ、
HTMLを記述する人たちがドキュメントへ直接スクリプトを書けるような環境を作ろうと考えました。
JavaScriptを10日で書き上げる
彼は1995年4月に入社したばかりでしたが、自らの考えを実証するため行動を起こしました。
なんと、わずか10日間でオリジナルのスクリプト言語を作り上げます。
Javaがコーヒーの銘柄であることから、こちらは「Mocha」と名づけました。
開発はあっという間でしたが、ここからアイクはこの言語をブラウザに実装することに奮闘します。
一つのブラウザに二つの言語
NNの次のバージョンには、ブラウザ上でアプリを動かすために、Javaの技術を導入することは、すでに決まっていました。
そのため、ネットスケープ社の経営陣の中には、さらに別の言語を組み込むことに疑問を呈する人もいました。
しかし、ブレンダン・アイクは「使う人が違う」と説得します。
Javaは、高価なプログラムを開発するための言語です。
一方、MochaはWEBデザイナーが簡単にページを動かすために作られた言語です。
これにより、プログラミングの経験が殆どないデザイナーでも、ページに様々な機能を持たせられるようになると主張しました。
1995年9月に公開された「Netscape Navigator 2.0」のベータ版には、「LiveScript」に改称されたMochaが実装されることとなりました。
LiveScriptからJavaScriptへ
その年の12月4日、ネットスケープ社とサン社は技術提携を発表し、「LiveScript」は「JavaScript」と名を変えてお披露目されました。
NNにJavaの技術を導入することが注目されていたため、それに便乗する形で「JavaScript」という名前にしたと言われています。
マーケティング的には効果てきめん。
「Java」という響きに多くの人が反応し、JavaScriptにも一気に注目が集まりました。
これが、後々まで続く「JavaとJavaScriptの混同」の出発点となりました。
ブラウザ戦争の行方
JavaScriptが開発されていたのと同時期、ブラウザ戦争のライバル、「Internet Explorer(IE)」も産声を上げていました。
1995年8月24日に発売され、爆発的なヒットを記録したマイクロソフトの「Windows95」は、初のインターネット対応のOSと言われています。
その拡張ソフト「Microsoft Plus!」の中に「Internet Explorer1.0」が収録されていました。
しかし、このころのIEはまだ低機能で、ほとんど使われませんでした。
IEの猛追
1996年8月にリリースされた、「Internet Explorer 3.0」はJavaアプレットやJavaScriptにも対応していました。
しかし、NNとの互換性がなく、IEに乗り換えるWEBデザイナーは稀でした。
それでもマイクロソフトはバージョンアップを繰り返し、シェア拡大を狙います。
1998年のリリースのWindows98では、IEがOSの機能のひとつとして搭載されていました。
Netscape Navigator がシェアウェアだったのに対し、IEはWindowsとの抱き合わせで無償で配られていたことから、独占禁止法に違反していると提訴されたこともあります。
利便性でも差をつけマイクロソフトの勝利
当時のWEB制作はHTMLで手書きすることが多く、正しく記述されていないページも多数ありました。
マイクロソフトはIEに誤った記述を補正する機能を持たせましたが、NNは消極的でした。
そのため、IEでは見られるのに、NNでは見れないという事態が頻発しました。
加えて、JavaScriptについても、NNが「アクセスAPI」として採用したレイヤーは使い勝手が悪く、不評でした。
IEのアクセスAPIである「DOM(Document Object Model)」より明らかに劣っていました。
両者は互換性もなかったため、「どちらかを選択するならIE」というWEB制作者が増えていきました
肝心のJavaScriptの分野でもNNは負け、ブラウザ戦争はIEの大勝利となりました。
そして、ネットスケープ社は、1998年、インターネットプロバイダ大手の「AOL」に買収されてしまいました。
JavaScriptの商標は誰が持っていると思う?
そのサン社がJavaもろともオラクルに買収されたため、JavaScriptの商標もオラクルのものになったんじゃ!
その後は、ブレンダン・アイクの手を離れて発展していくんじゃ…
Mozillaの逆襲
ブラウザ戦争に敗れたネットスケープ社は巻き返しのため、Netscape Navigatorのオープンソース化を試みます。
NNの当初の名前である「Mozilla」を復活させ、「Mozillaプロジェクト」と名付けられました。
この試みに、多くのプログラマが賛同し、ブレンダン・アイクは、このプロジェクトのチーフアーキテクトとなります。
AOLは当初、Mozillaの活動に理解を示し、支援していましたが、次第に態度を変えていきます。
AOLはあくまで自社のビジネス拡大のため、ネットスケープ社を買収したのです。
プロジェクトはオープンソースの原理原則に則って運営されるべきでしたが、AOLはブラウザに自社サイトへ飛ぶボタンをつけたりすることを望んでいました。
計画の足並みはそろわず、2000年にリリースされた「Netscape Navigator 6.0」は大失敗してしまいます。
Mozilla Foundationの設立
Mozillaプロジェクトのメンバーは次第にAOLの経営陣と衝突するようになり、2001年、ついにプロジェクトリーダーのミッチェル・ベイカーが解雇されてしまいます。
2002年、新ブラウザ「Mozilla 1.0」をリリースしますが、シェア奪回にはいたりませんでした。
メンバー同士の仲たがいもあり、プロジェクトは混迷を極めます。
そこへ救いの手を差し伸べたのが、かつて一世を風靡した表計算ソフト「Lotus 1-2-3」の開発者「ミッチ・ケイパー」です。
彼は、ミッチェル・ベイカーとブレンダン・アイクに「自分が出資するから独立しないか」と持ち掛けます。
こうして2003年7月、「Mozilla Foundation」が設立されました。
「Firefox」の誕生
ミッチェル・ベイカーはAOLを説得し、200万ドルの出資を受け、独立します。
ブレンダン・アイクほか数名のエンジニアも安定したネットスケープ社を離れ、「Mozilla Foundation」に参加します。
志を同じくする精鋭が集まったとはいえ、10名足らずで巨大なオープンソースプロジェクトを運営しなければなりません。
資金も人材も足りなかった彼らに、オフィスを提供しようという人が現れるなど、支援の輪は広がりました。
そして、2004年、「Mozilla 1.0」を改良した新ブラウザ「Firefox 1.0」がリリースされます。
爆発的ヒットでシェアを奪還
ブラウザ戦争の勝者IEは、ライバルの不在からバージョンアップが滞り、物足りなさを感じられるようになっていました。
独自エンジン「Gecko」による高速なレンダリング、タブブラウジングや高いカスタマイズ性をもったFirefoxは人々の心をつかみ、大ヒットとなります。
1年たらずで1億ダウンロードを記録し、その後もバージョンアップのたびに話題となりました。
当時、IEはセキュリティ面でも問題が多く指摘されていて、Firefoxに乗り換える人が続出しました。
Webトラフィック解析サイト「StatCounter」によると、2009年12月に、Firefoxのシェアは32%を記録しています。
しかし、Windowsへの移行期にExcelに逆転され、敗れ去ってしまったんじゃ…
ついつい、判官びいきをしてしまいたくなるもんじゃ
Chromeの覇権確立と新たな挑戦の開幕
2000年代はブラウザ戦国時代となりました。
IE、Firefoxの争いに、Appleの「Safari」、独立系の「Opera」なども加わりました。
2000年代終盤にはスマートフォンが登場し、戦場はデスクトップにとどまらなくなってきます。
熾烈な争いを圧倒的な力で制したのは、2008年に登場したGoogleの「Chrome」でした。
この戦いを「第二次ブラウザ戦争」と呼ぶ人もいます。
Mozilla Foundationのトップへの就任と退任
ブレンダン・アイクは一貫してMozilla Foundationへの貢献を続けていました。
ネットスケープ社時代に作った世界初のJavaScriptエンジン「SpiderMonkey」はFirefoxの中核技術となっています。
2005 年 8 月には、ビジネス部門を担う「Mozilla Corporation」が設立され、最高技術責任者(CTO) になりました。
そして、JavaScriptの誕生から20年近くたった2014 年、Mozilla FoundationのCEOに就任します。
しかし、就任直後、政治献金にまつわるスキャンダルが明るみに出て、わずか10日でCEOを退任しました。
そして、自ら設立に関与したMozilla Foundationを去ることになってしまいます。
Chrome一強への危惧
Chromeのシェアは2012年5月に単独1位となり、2016年4月にはMicrosoft EdgeとInternet Explorerの合計を上回りました。
Googleの各サービスと連動し、メールもブラウジングもChromeを通じて行われています。
あらゆる情報を握り、それに連動した広告を表示することで、Googleは莫大な利益を挙げています。
ブレンダン・アイクは、それに異を唱えました。
彼は「Brave Software」を設立し、プライバシーを重視し、広告や行動トラッカーをブロックするブラウザ「Brave」を2019年にリリースします。
新たなブラウザ「Brave」の挑戦
「Brave」はターゲティング広告をブロックする代わりに、独自の広告を配信しています。
広告料の70%がユーザーに対し「BAT」という仮想通貨で還元されるという仕組みです。
彼の問題意識は、プライバシー保護とともに、WEBサイトのクオリティを保つことにあります。
ターゲティング広告が普及したことで、サイトの作り手は、とにかくPVを稼ぐことに血道を挙げるようになってしまいました。
結果として「釣りタイトル」やインパクトの強い画像、パクリなどが横行しています。
「Brave」はより質の高いコンテンツを作るクリエイターに広告費が還元される仕組みを用意したのです。
ブラウザ戦争は終わっていない!
ブレンダン・アイクはJavaScriptを開発し、多くのクリエイターがWEBブラウザで、様々なことを表現する世界を実現しました。
それから20年以上がたち、現在の世界は「監視資本主義」が横行するようになってしまったと嘆いています。
ユーザーのプライバシーをお金に変えるために、質の低いコンテンツが膨大に作られています。
彼は「壊れてしまったWEBを正す必要がある」といいます。
2022年現在、「Brave」の月間アクティブユーザー数は5550万人と発表されていますが、シェアとしてはまだまだ低い状態です。
果たして、ブレンダン・アイクの挑戦は成功するのか。
彼のブラウザ戦争はまだまだ終わってはいません!
スマホ版を入れてみたら、サードパーティの広告がきれいさっぱりなくって見やすくなったぞ~!
余計な広告をダウンロードしないからアクセスも早いし、通信量も節約できる
でも、よその広告をブロックして、自分のとこの広告を流すってちょっとズルくないですか?(笑)
どんな広告を流すか第三者が決めるべきではないし、ユーザーも見る見ないを自由に決められるべきと言っておる
相場によるが、0.05BATだとすると日本円で1.8円くらいかの?(2023/04現在)
逆も然りだから推奨はしないぞ!
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